2009年7月16日(木)~8月20日(木)
A隊:全日程、B隊:8/7(金)~17(月)、C隊:8/8(土)~20(木)
メンバー
大内尚樹(A隊・隊長)、大内和子(A隊・テントキーパー)
佐野耕司(B隊・登攀L,東京YCC)、畑秀信(B隊・装備,東京YCC)、
船山和志(C隊・医療,東京YCC)、政金聡子(C隊・装備,東京YCC)、
室屋博(B隊・装備,早大ハイキングクラブOB)、
妹尾(A隊・記録、まつど岳人倶楽部)
よくここまで読んで頂きドウモす。
それでは最終章、行ってみましょう。
8/9 鹿耳沖塘BC(以下、BC)7:30~紅杉林9:30~BC12:00
朝、雨の中紅杉林へB隊のお出迎えに一人で向かう。ポーターの先導がないと
踏跡がわかりづらく、改めてポーターの有難さに感謝。紅杉林で出発直後の
B隊と合流、感動の対面と思いきや・・・・
(゚∀゚)ノ 『室屋サン!お疲れっス!』
(・_・) 『・・・・・?』
(´д`)ノ『僕っス、セノオですヨ!』
(・_・) 『・・・ああ、セノオクン。なんかやけに日本語上手い中国人だなァと・・。』
(゚Д゚;) 『ひでェっす・・・』
てナ感じ。まあ全員高度障害で調子悪いのに加え、突然林から一人で
出てくれば当然といえば当然か(笑)。スタッフの高サンは頭痛が酷く、紅杉林で
引き返し王サンの民宿で休むとのコト。室屋サンも一度BCへ上がるが、すぐに
王サンの民宿まで下がり順化するとのコト。一面濃いガスの中、牛心山など
微塵も見えず、なかなかB隊に『がんばりましょう!』とは言えず・・。
BCではとりあえずB隊に天気のいい時の牛心山写真を見せてモチを維持してもらう。
8/10 BC10:30~北東壁取付11:00~BC12:30
今日はC隊(+室屋サン・高サン)の到着。午前中、佐野サン・畑サンを北東壁の
取付まで偵察に案内する。ラインは大体決めていたが、スタートを面白そうな
クラックにするか、上りやすそうなフェイスにするか勘案した結果、晴天が限られた
場合のことを考えて、スピードを重視し後者に決定。BCへ戻ってすぐ、C隊が
まだBCへ到着していないので再びお出迎えに行く。15分程歩くとすぐにC隊に
合流した。
流石にまだ全員調子がいいとは言いがたい状態だが、とりあえず
メンバー全員が到着。相変わらず天気はガスと小雨。明日からの試登は最悪
雨の中でやることになりそう。夕方、暇だったのでアプローチの短縮ができないか
一人で再び取付まで歩くが特に収穫なし。あとは全員の体調と天候だけだ。
8/11 BC10:00~北東壁取付10:45~4P終了点18:30~BC19:30
BCに後発隊が到着後、初めて太陽が顔を出した。昨日BCへ到着したばかりの
船山サン・政金サンを除く5人で、試登に向かう。(取付までは全員行った。)
佐野サン・畑サンは昨日に比べだいぶ体調が回復したようだが、それでも
疲労が濃いはずなのにそれを感じさせず、リードを買って出る・・・が。
1Pは佐野サンリード。見た感じでは4~5級程度に見えたが結果的にここが核心Pと
なる。まず前日までの雨で壁の状態はよくない。加えて豊富に見えたクラックも
そのほとんどがフレアしておりプロテクションも△。これに高度障害などが相まって
かなり苦労の様相。そしてついにフォールするが、これは本人も予想していたようで
事前にボルトを打っており事なきを得る。この後も悪いなりに確実にこなし、
傾斜が緩くなりかけたところで全員ホっとしかけた時・・・よもやの不意落ち。
一見なんでもないスタンスが猛烈にヌメっていたらしく、キャメ#3で止まるも、
3~4m程の墜落。傾斜がキツイおかげで無傷だったが、『1P目からこれかヨ・・・』と
この先の難儀さを思い知らされた感じ。船山サン達は気持ちよさゲに
ノンビリしてるのが対照的(笑)。
しかし、2P目からはそこまで悪くなく、(岩が乾いてきたことがデカイ)畑サンがスイスイ
リードする。基本的に今回は大人数(試登時は5人、本トライは7人)なので、
リード以外は基本的にユマールで登る。3P・4P目は大内サンが”これぞ悪場登りゾ”と
言わんばかりにA1を交えどんどん進む。室屋サンも久しぶりの復帰戦とは思えない
スムーズなユマール。4P目は大内サンがリード後、ほとんどの荷物を背負ってる
妹尾のみが上がって、終了点に荷物をデポする手筈だった・・・・しかし。
4P目は核心が短いながらもハングになっており、1mもない区間だが、
空中ユマール気味になる。ここまでの3Pはいくら25kgぐらい背負っていても、傾斜が
そこまできつくなかったので、普通にユマール出来たんでそのまま突っ込んでしまった。
考えてみれば、そんな重量を背負って空中ユマールなんてしたことなく、案の定
ハングで動けなくなる。2~30分程もがくが、とうとう宙吊りでニッチもサッチも状態。
仕方なく佐野サンが救助に来てくれ、事なきを得る。ホントに申し訳なく自分の
甘さを痛感、反省の一言。
そんなこんなで、なんとか4PまでロープFixを完了し、BCへ戻る。夕食はまたしても
李慶カレーでスタミナ十分。いよいよ明日から本トライへ向かう。
8/12 BC5:30~北東壁取付7:00~牛心山前衛峰頂上16:30
~取付21:00~BC21:30
昨日の試登の疲れが残っているようで、佐野サン・畑サンは調子が悪そう。
しかし、逆に船山さんは全開とは言わないまでも、徐々に調子が戻ってきている様子。
政金サンに至っては、佐野サンから体調を聞かれ『もう平気ですヨ~』という頼もしさ!
時々ガスが湧き上がってくる程度で晴れの下、スタート。まずは4Pまでのユマールだが、
如何せん7人もいるので中々時間がかかる。今回は基本的にYCCの3人(佐野サン・
畑サン・船山サン)がリードをローテし、他の4人がフォロー&荷揚げ。妹尾は順化が
完全に出来ていて、隊の中では比較的体力もあるのでひたすら荷揚げを担当。
リードであれ、荷揚げであれ、チームの中で自分にしか出来ないコトがあるというのは
幸せなコトだと思う。目的は”7人で頂上に立つ”、それを忘れてはいけない。
(と、強がってみる苦笑。やっぱリードがクライミングの華ですよね、無論。)
8Pぐらいから傾斜も強くなり、ユマールも一苦労。風も強くなり、9P付近からはとうとう
小雪が舞い出した。その9Pはイヤらしいトラバース気味の右上で、重いザックを
背負っていても、完全にロープに体重が預けられないのでかなり難儀する。それでも
皆調子が悪い中踏ん張り続け、特にYCC組の執念には脱帽モノす。そしてとうとう
16:30、前衛峰に全員がたどり着く。牛心山本峰までの吊尾根は岩が脆そうで、
天候も悪化しそうな気配だったので、ここで下降を開始することに決定。
下降は同ルートだが、全員疲労の色が濃い。へとへとになりながらヘッデンの中
21時に全員無事取付へ到着。BC帰還後、盛大な打ち上げが・・・・と思いきや
全員ヘトヘトに疲れていて、夕食もお通夜状態(笑)。そんな中、一人食い意地の張った
26歳がKY的にお代わりしてました、皆様ホントスミマセン苦笑。
以下、牛心山北東壁ルートの詳細
【岩峰名】 牛心山(4942m)
【ルート名】 8/31現在、未定?
(現在YCC組が熟考中、たぶん。「夏季休暇」、「ユキブタ」etc・・・)
【スケール・グレード等】 470m、10P、5.10b・A1
【各P詳細】 注:ルート形状は妹尾の体感
1P 5.10b・A1 佐野 フェイス・クラック 50m
2P 5.9 畑 フェイス・スラブ 50m
3P 5.9 大内 凹角・クラック 55m
4P 5.10a 大内 フェイス・小ハング 50m
5P 3級 船山 草付き・フェイス 50m
6P 5.9 畑 フェイス・クラック 50m
7P 4級(-) 佐野 フェイス・クラック 50m
8P 4級(-) 船山 フェイス・クラック 45m
9P 5.9・A1 畑 フェイス 45m
10P 3級 佐野 フェイス 35m
8/13 BC10:50~牛心山南方コル12:30~牛心山北東壁基部15:00~BC16:30
本日は休養日、結局心配していた天気もド快晴。各自自由行動なので、来年世話になる
野人峰にトレッキングがてら挨拶に行く。大内サン・畑サン・李慶サンは牛心溝に
岩壁があるというポーターの話を聞いて、そちらへトレッキングへ向かった。
久しぶりに身軽な荷物でノンビリ昼頃コルへ到着。野人峰・女王峰の北面は圧倒的な
スケールと傾斜で聳え立っており、気軽に試登でも・・・なんて考えが大甘と痛感。
1年後、必ずもっと強くなってここに帰ってきたい、そう誓ってコルを後にする。
まだ時間があったので、牛心山北東壁の気になるボルダーで遊ぶことにした。
牛心山では、フォローしかしなくて(しかも半分以上ユマール)、久しぶりにクライミングを
した感じ。やっぱりクライミングは楽しい、ホントに楽しい。そしてもっと上手くなりたい、
強くなりたいと感じる。案の定、何週間もトレーニングしてないんで指力なんて
悲惨なものだったが、それでも何故か充実したひと時だった。
小雨が降り出したのでBCへ戻る。少しして大内サン達も戻るが、李慶サンの様子が
おかしい。話を聞くと、足を滑らして脇腹を岩に強打したらしい。(後に肋骨4本骨折と判明)
船山サンが軽く診察し、皆口々に『そういえば医者だったんだ~笑』と無礼千万苦笑。
代わりに高サンが調理を担当し、昨晩できなかった完登祝いをやる。王サン(弟)の歌や
酒など楽しい一夜だった。
8/14 BC11:30~紅杉林13:00~渡暇村17:00
4日連続の快晴の中、BC撤収日。相変わらずのポーター不足でとうとう王サンの
娘サン二人も出張ってくる。有難いやら申し訳ないやら。記念撮影の後、ポーターより
一足先に出発したが、先頭の大内サンはやはり藪好きなのか、なぜか通らなくてもいい
藪漕ぎをする破目に。しかもポーターには余裕で抜かれていた苦笑。
紅杉林からは、観光用遊歩道を歩いて、布多拉峰・野人峰を偵察する。
山野井サンの登った『加油』ルートをはじめ、この一帯の壁は双橋溝でも文句なしで
No.1だろう。夕食後、ギヤの整理をする・・・が衝撃的な事実が判明。
妹尾のキャメ#0.75とナッツ一式が紛失していた。恐らく壁のどこかに忘れたのだろう。
まあ、いくらか隊の余剰金で保障されるようだし、無事登って(しかも2本!)降りて
これたんだからヨシとしなければ。また日本では貧乏生活か~と苦笑。
8/15 渡暇村9:30~小溝入口10:00~4000m草付斜面15:00~渡暇村17:30
本日は大溝の隣に位置する小溝という谷の偵察を兼ねたトレッキングへ向かう。
入口の牧場を少し見学後、急斜面を登る。大内サン・船山サンは植物・キノコの
写真&採取に夢中。昼頃、牛心山の疲労が抜け切らない佐野サンは早めに民宿へ。
4000m付近の草付で小溝奥の岩壁を望む。大溝よりややスケールは劣るが、
最奥はここから見えず、もしかしたら・・・という期待を抱くが時間切れで撤退。
明日はB隊がいよいよ日本へ帰国するので夕食は宴会。大内夫妻の部屋に移動し
第二ラウンド。全員でこれからの目標などを語り合う、『未来形』の話はホント楽しい。
8/16 休養日
朝、B隊をお見送り。天気が悪いので仕方なく休養日とする。
午前中、同宿していた中国人ガイド&客5人のグループと交流会。中国ではまだまだ
クライミングはマイナーで、ギヤも高価で貴重らしい。案の定、客の素性は
大学教授、警察官、医者、銀行員などハイソな面々・・・。バイトな私は歯が立ちませぬ。
しかし、僕らが登ったルート2本の情報にはとても貪欲だった。
午後は、船山サンに誘われて政金サンと3人でボルダー探し。
しかし、近くの川にもボルダーの影は一切ない。遊歩道を歩いているうちに船山サンは
キノコ狩りに熱中し始める。「ボルダー?なにそれ?おいしいの?」なんて
今にも言いそう(笑)。何とか歩き回って小さいボルダーを発見。それでも限定しまくりの
課題はなかなか面白い。外岩ボルダーの経験は全くないけど日本に帰ったら
是非やってみたい。誰かウマイ人、おせ~て。ボルダーの周りには豚がウロウロ、
ちっとは人間を怖がれ!このブタ野郎!
夜、李慶サンが紅杉林で養子にすると約束した女の子の実家に皆でお邪魔する。
こちらの”養子”とは日本のそれと少し違い、法的根拠はない。私的な後見人という感じ。
正直、この”養子”という概念がイマイチ理解できなかったが、理解できることもあった。
それは李慶サンとその女の子が純粋にお互い尊敬しあっていること、彼女の家族までも
新たな家族が増えたことを心から喜んでいることだ。
結婚や出産と同様に新たな絆の誕生を素直に喜び、慈しむ姿に心地いい時が流れた。
ドサクサに紛れ(笑)、大内サンは女の子の養祖父になっていた。船山サンも完全に
父親の顔でした、もう見てらんね苦笑。
8/17 渡暇村10:00~大鷹溝?4200m草付16:00~渡暇村18:00
本日は1ヶ月近く滞在した双橋溝の最終日。またしてもポーター曰く『いい岩壁がある』と
いう溝(谷)へ偵察を兼ねてトレッキング。最初から急斜面を登るが、途中でポーターの
王サン(弟)とヤンの二人がやたら木の実をとっては勧めてくる。その大部分は、
ビタミンCの塊みたいに酸っぱい。
この急斜面、双橋溝では初めてヒルが大量にいる。みんな足元が気になってたまらない。
幸い、誰も咬まれなかったが勘弁してほしい。斜面が緩くなったところで、溝の奥に
上部が雲に隠れた岩壁の基部が見える・・・が脆そうでスケールもイマイチな感じ。
これでこの双橋溝でのスケジュールは終わりか、なんて思ったら急に体がダルく
感じて足が重い。今まで張っていた緊張が切れたか、はたまたトレッキングに飽きたか、
先行する船山サン達から遅れ始める。
船山サンたちは、デカイ葉っぱを服のようにポーターに着せられて遊ばれている(笑)。
しかし、残念ながらあまりこちらのテンションは上がらない。それに気づいたポーターは
しきりに食い物を差し出す。腹減ってるわけじゃねーヨ、といっても通じない苦笑。
先頭グループから再び離れ始めても、誰も気にせず先へ先へと進む。
チェッ、所詮20代の扱いなんてこんなもんか・・・なんてふて腐れてると、ポーターの
王サン(弟)が道端で待っていてくれた!なんていいヒトだ~!・・・なんて思ったら・・・。
キノコ採ってるだけかい!!
所詮20代なんて・・(以下同文)。
帰りには再び木の実を勧められる。チベット人のホスピタリティに潰されそうです・・・苦笑。
今日は渡暇村最後の夜、夕食で盛り上がった後、お汁粉と酒で二次会。
この村では王サン一家やポーターなど、皆が隊に優しく親切だった。これもひとえに
大内サンが10年近くかけて築いてきたこの双橋溝や李慶サンとの信頼関係の
おかげだろう。日本では最近何かと騒がれるアクセス問題もここでは無縁だ。
この先ヒマラヤや別の地域に遠征にいけば、ここでは感じることのないツライ事が、きっと
あるよと船山サンに言われた。他の地域の実情を知らないが、たぶんその通りだと思う。
それほど、ここは登山・クライミング環境に恵まれているのだ。ありがとう双橋溝、また来年!
8/18 渡暇村8:30~臥龍13:00~成都ホテル17:00
今日は成都へ移動。出発後しばらく車窓を眺めていると四姑娘山の鋭鋒が現れた。
圧倒的な頂に、今山行の成果が霞んでしまうようだった。あれでまだ6250m、いつか自分が
立つべき頂はさらに高く険しい。今山行は良かった、だから忘れよう。やるべきことはこの先
膨大にあるのだから・・・。
昼食は”パンダの郷?”臥龍。こちらのパンダ像はやたらゴツイ(笑)。途中、道の
いたるところで復旧工事が行われ四川大地震の傷跡が色濃く残っていた。
クライミングができる自分はつくづく恵まれているのだと改めて痛感する。
成都では1ヶ月ぶりにちゃんとしたシャワー。夕食はギョーザをたらふく。
その後、船山サン。政金サンと日本人3人だけで中国の大型スーパーやマクドナルドへ。
日本人だけで行動するとドキドキ間もあってかなり面白かった。
8/19 ホテル9:00~考古学博物館10:30~火鍋レストラン18:30~ホテル21:30
本日成都最終日。朝食をホテルの近くのワンタン屋で摂り(安くてウマイ)、市内観光へ。
中国ではタクシーは安く、捕まえるのも一苦労。博物館は古代の遺跡を中心に
近代的ば感じ。三国志とかの知識があればもっと楽しいんだろうなァと。
その後、成都の浅草みたいな観光地で、成都の名物料理を沢山食べる。その後、
近くのアウトドアショップ数軒に冷やかしで寄ってみる。やはりクライミングギヤは
珍しく高い。
夕食はいよいよ火鍋。正露丸をのみ準備万端、いざリベンジ(笑)。
意外と辛くなくおいしいが、食べすぎは命取り。スタッフの姜サンはビール飲んで上機嫌。
それはいいが、妹尾が”アヒルの血でできた豆腐”に苦しんでいるのを見て爆笑・・・。
李慶サンは病院に行って撮ってきたレントゲンを見せてくれた。(医者は呆れていた様子。)
ホテルまでの帰り、酔った勢いで船山サンとオトナのおもちゃ屋へ冷やかしで入ったら、
中のオバちゃんに切れられた苦笑。
8/20 ホテル10:30~成都国際空港11:30~北京国際空港15:30
~成田国際空港21:30~高幡不動24:30
最終日だからか、朝食がやたら気合の入った量の麺類等。やはりウマイ。
スタッフの李慶サン・高サン・姜サンに見送られ、空港へ。空港では、やはりというか
大内サン・政金サンが預け荷物の検査に引っかかりザックを開けさせられる。面白半分で
それを写真で撮ったら、空港スタッフに怒られた苦笑。まあ、双橋溝を出る時、
王サン(弟)から貰った土産は詳しくはいえないが、検疫に引っかかる可能性もあったので
無事通過?して一安心。(犯罪紛いのモンではありませんヨ、無論。たぶん・・・)
しかし、北京のトランジットでは船山サンが手荷物で引っかかる。そう、何故か成都では
引っかからなかった手荷物に紛れていた、まさかのゼリー(笑)。検査官も笑ってた。
機内では全員バラバラの席。妹尾の隣はどうやら祖父と孫のよう。甲斐甲斐しい祖父に
比べ不遜な態度の孫。双橋溝の子供は素直だったなあ、と既に懐かしんでしまう。
成田には30分遅れで到着。ギリギリ終電に間に合いそうだったので、
船山サン・政金サンにろくにアイサツも出来ず電車に駆け込み、深夜に自宅到着。
帰りの終電では、酔っ払ったニーチャンや居眠りするサラリーマンを見て
日本は疲れてんナ・・としみじみ。と同時に少しホッとした。
なんやかんだで26時就寝、翌朝5:00起きで次の日から早速バイト。
貧乏暇なしでした。
さあ、冬に向けての準備はもう始まっている。
やるべきことは山ほどある。解決しなければいけない課題も盛りだくさん。
だからこそ、楽しみで仕方ない。近い将来、8000mの頂に無酸素・アルパインスタイルで
立ちたい。それまではまだまだこんな人生が続きますヨ。
キツくて、タフで、面白くて、幸せな人生が・・・。
さあ、次はドコへ行こう?
長々と駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
1ヶ月近くお供させて頂きました大内夫妻
滞在中のクライミング以外の全てを世話してくれた李慶サン
荷揚げポーターを務めてくれた渡暇村の皆様
李慶サンを見事サポートしてくれた高サン・姜サン
素晴らしいクライミングを見せてくれた
佐野サン・畑サン・船山サン・政金サン・室屋サン
中国で出会い、お世話になった全ての方々と山々、そこにある自然。
本当にありがとうございました、この場を借りて御礼申し上げます。
またどこかで。