2009年7月16日(木)~8月20日(木)
A隊:全日程、B隊:8/7(金)~17(月)、C隊:8/8(土)~20(木)
メンバー
大内尚樹(A隊・隊長)、大内和子(A隊・テントキーパー)
佐野耕司(B隊・登攀L,東京YCC)、畑秀信(B隊・装備,東京YCC)、
船山和志(C隊・医療,東京YCC)、政金聡子(C隊・装備,東京YCC)、
室屋博(B隊・装備,早大ハイキングクラブOB)、
妹尾(A隊・記録、まつど岳人倶楽部)
前編に引き続き、中編をお楽しみクダサイ。
くれぐれも”暇な時”にお読みクダサイね(笑)
7/28 大溝BC(以下BC)6:00~取付8:30~8P終了点11:45~13P終了点20:30
本日からいよいよ5086m無名岩峰への再アタック。前日打ち合わせでは
4:00起床のはずが、2:30に叩き起こされる。大内サン気合入ってんな~、と
思ったら『時間、間違えた』とのたまう。毎回そうだが、いくら李慶サンが
作ってくれたおいしいい朝食も、アタックの朝はどうしても激マズになる。
たぶん精神的なモンなのだが、無理やり義務的に口に突っ込む。
BCから下部岩壁帯まで沢沿いに歩くが、この数日間の雨で増水し、少し
ルートが変わるなど難儀する。夜明け頃に快晴だった空もこの時間になって
曇に。2P終了点で30分ほど様子を見ると西空に晴れ間が。また雨で
敗退するより、ここで降りて実は晴れたり方が悔しいのでそのまま突っ込む。
前回ビバークした8P終了点まで順調に進む。ここから傾斜が強くなり、
クラックも少なくなるので、リード・セカンドとも苦戦。夕方から風・雲が強くなり
いやな雰囲気、と思ったらとうとう12Pから雪がちらつき始め、いよいよ
壁の状態が最悪になった。
ここで再び『悪場の大内』が本性を現す。本ルートの核心Pとなる13Pを2時間
粘って(しかも2回フォール)突破し、ビバーク可能なテラスに辿り着く。
まあ、2時間、夏服で吹雪の中ビレイの妹尾も良く頑張ったと思いますよ、ホント(笑)。
ビバークテラスにセカンド妹尾が着く頃には雪も止み、風が強いものの晴れる。
ビバークサイトから頂上が見える。西は晴れ。あすこそいよいよ。
7/29 13P終了点8:00~頂上(17P終了点)13:30
~取付21:00~下部岩壁帯ビバーク地22:30
ビバーク地は下からの吹上がひどく足元が冷えて、地味にツライ一晩だった。
ここからはおそらくビバーク用具などは必要なく、荷揚げは不要。よって遠慮なく
ツルベで登らせてもらう。出だしの14Pは久しぶりに妹尾リード。最初の1ムーブが
悪く、プロテクションも取れないので緊張。でもリードってやっぱり楽しい。
フレークを縫うように進むのでロープの屈曲が激しく、ロープがオモイオモイ。
15Pはクラック沿いの染み出しが激しく、大内サンが数ポイントA0で突破。
ここからいよいよ頂上まで突き抜けるクラックを進む。16Pはハンド~フィストが快適な
ルートでフリーがメチャ楽しい。しかし、1ムーブ毎に息が切れる。順化していても
酸素摂取には限界があるなぁと、ここが標高5000mなのを実感。
いよいよ感動のフィナーレ、最終17P。本来なら大内サンリードだが、16P終了点で
師匠からの一言は『妹尾クン、行きなさい』。普段、年齢差のせいか?『おいおい・・』と
思うことも少なからずあるが(笑)、こういう時の優しさ・気遣いは絶対忘れない、これが
大内尚樹という男の魅力の一つなのだろう。
相手の親切を受け取るのも礼儀。遠慮なく行かせて頂く。傾斜も垂直に近く、日本なら
間違いなくフリーで挑むところだが、出だしのOWなど荷物背負ってこの標高での
フリー突破の実力は残念ながらまだない。A1を交えつつ、快適なクラックを直登。
13:30、万感の中トップアウト。快晴の中、最高の瞬間。
(厳密に言うと、あと3m程登る場所があったが、危なそうだったので一段下がったテラスで
登頂とした。異議のある方はドウゾ第二登頑張ってクダサイ。)
それぞれ記念撮影を終えて下降開始・・・しかしいきなり最初のPでロープスタック。
仕方なく妹尾が登り返す。見事に頂上直下のクラックに挟まっていた。ロープを
セットしなおし、何とかもう一度降りてロープを引く、ひく、ヒク・・・あれ?
再びロープスタックしました・・・泣。
大内サンはかなりお疲れ。それ以前の問題で、妹尾がセットして失敗したので当然
妹尾が再び登り返す。1時間前には感動の中、頂上を後にしたのに・・・・何が悲しくて
3回も頂上踏まなアカンの?と半泣き状態で3回目のトップアウト(苦笑)。これで2時間ロス。
その後のPも度々、フレークの狭いクラックに引っかかり2~3回スタック。疲労が濃いなか、
かなり登り返しで消耗する。後半は傾斜が緩くロープと岩の摩擦が大きくてロープを
回収するのに一苦労だが、1P5~10分ほどで懸垂下降を繰り返し、なんとか21:00に
取付へ戻る。ここからは日中なら1時間ちょっとでBC、なんとしても今日はテントで
寝たいところ。暗闇はヘッデンで対処できたが、運悪く濃いガスが当たり一面発生し
視界は20m以下。暫く歩くが、現在地が全くわからず下部岩壁帯の下降ポイントの
ケルンも全く発見できず。このまま突っ込むのは危険と判断し、仕方なく適当な
場所でビバーク。マァ、足伸ばして寝られるだけマシと思って夕食もとらずガマンガマン。
7/30 下部岩壁帯ビバーク地7:00~BC8:30
朝、寒さで目覚める。ガスは晴れているが5086m峰はガスの中。雨が降り出すと
厄介なのでとっとと出発。昨晩わからなかった現在地は、予想よりもかなり手前だった。
人間の感覚なんてホント当てにならない(笑)。下部岩壁帯をゆっくり降り、沢沿いに進む。
途中、沢の渡渉で見事にコケる、が起き上がれない。考えてみれば昨日の朝飯以降、
この24時間で食べた物は飴2個とチョコバー半分。緊張の切れた状態で25kgのザックを
背負ってりゃ力なんて出る訳ない。ザックにつぶされた状態で沢の中でジタバタして
ようやく起き上がる。大内サンも傍らで『ガンバレ』とはいうが、手を貸す余力は
ないらしい苦笑。二人ともずぶ濡れ&ズタボロでなんとかBCへ帰還。
24時間ぶりのまともな朝食を摂り、テントで昼寝。そんなでかいルートではないが
一応初登攀・初登頂を成功させ、ルート名・岩峰名とかどうしよう?なんて不届きなこと
考えつつ、昼寝。ふと目が覚め、食事テントに行くと・・・・
ルート名、岩峰名。既に決定・・・。( ゚Д゚)
名クライマー大内尚樹に満面の笑みで『妹尾クン、これでいいよね!』と言われたら、
こんなペーペーにとって、異議を出すことは5.14クラス(笑)。笑顔で『YES、We can!』す。
まあ、いいんですよ名前なんて。頂上に登れて無事下山できれば言うことなし!
(と、強がってみる。ルート命名なんて10年早いということですよね?お師匠殿。)
岩峰名は”天狗食日峰”。1度目のトライの時、たしか3Pあたりで日本でも話題となった
日食に遭遇。カンテの向こう側で、直接は見れなかったがあたりが急に暗くなり
ちょっと感動。ホントに夜になるのかと思ったぐらいです。(BCでははっきり目視したよう。)
ルート名は”YNQ卒業証書”。Yは佳明、Nは尚樹、Qは慶の頭文字でクライマー二人と
BCまでかなり世話になった李慶さんの3人の名前をとり、”卒業証書”の意味は・・・・
大内サンに聞いてクダサイ苦笑。妹尾にとってはちょっと重圧がのしかかる意味でして。
夕方から再び雨。一日ずれていたらまた悲惨なビバークをする羽目になっていた。
【岩峰名】 天狗食日峰(5086m)
【ルート名】 YNQ卒業証書
【スケール・グレード等】 650m、17P、5.10a・A1
【各P詳細】
1P 2級
2P 5.9 大内 凹角~フレーク
3P 3級 妹尾 凹角
4P 3級 大内 フレーク・フェイス
5P 4級 妹尾 スラブ・フレーク
6P 4級+ 大内 フレーク・スラブ
7P 4級 大内 クラック・フレーク
8P 5級 大内 フレーク・スラブ
9P 4級+ 大内 フレーク・クラック
10P 5.10a・A1 大内 フレーク・クラック
11P 5.9・A1 大内 フレーク・フェイス
12P 5.9・A1 大内 フレーク・スラブ
13P 5.10a・A1 大内 スラブ
14P 5級 妹尾 フェイス・フレーク
15P 5級・A0 大内 フェイス・フレーク
16P 5.9 妹尾 クラック(ハンド~フィスト)
17P 5.10a・A1 妹尾 クラック(OW~フィンガー)
7/31 休養日
朝11時起床。明日はBC撤収などで、李慶さんが激ウマ料理連発。ウマー(゜д゜)、で
3人とも食べ過ぎ。天気は再び雨の周期に入ったようで、霧と雨。
テントの中で、和子サンに借りた『冒険の蟲たち』を読む。南米タウラリフ南壁は
すごいの一言。主人公3人のぶっとんだ旅も魅力的。いつかこんな情熱的で狂信的な
時間が自分にも訪れる日が来るのだろうか?自分もかく在りたいものデス。
大内サンにルート図作成を頼まれる。意外にも(?)ルート図は巧いらしいです。
夕食は登頂祝いに李慶カレー再び。BCにいるときは日本生活よりはるかに栄養環境が
いい。でも食いすぎで腹痛シ。
8/1 BC10:00~大溝入口13:30~渡暇村14:30
本日はBC撤収日。2週間近く居た大溝ともお別れ、なのに相変わらずのガスで
天狗食日峰は雲の中。ポーター達が上がって来てくれ、一気に賑やかになる。
下り始めて、最後の最後にようやく雲が切れ天狗食日峰は顔を出す。
さらば大溝、またいつか・・・。
ノンビリ下りながら大溝入口付近の側壁を眺める。これだって日本にあれば
何本もルートが引けるだろう。中国はスケールがデカイ。
入口で王サン車がお出迎え。助手席に乗せてもらうが、毎回感心する。
運転席のクラッチの下は穴が開いて道路が見えるし、ハンドルの配線は剥き出し。
日本の廃車のほうがよっぽど立派だ、なのに現役で動いてる。SUZUKIは大喜びだろう?
まったく、この谷では・・・民宿ではトイレの下で豚がブヒブヒ言ってるし、道の上のヤギは
車が来ても退く気配はないし、そこらへんヤク・牛・の糞だらけ。2年前は初の海外登山
ということもあり、少なからずこういうコトがストレスだった。でも今は静かに笑えている。
この2年で少しは成長できたのだろうか?そう思いたい。
王サンの民宿では、濡れたギヤやテント・衣類を一斉に乾かし、さしずめガラクタ市。
昼飯・夕飯とも、みんな『若者はタクサン食ベナサイ』の一点張り、もう勘弁苦笑。
8/2 休養日
朝、天候がよければ来年挑戦予定の野人峰(5592m)のBC適地を偵察に行く
予定だったが、イマイチの天気で結局休養日となる。
大内サンは天狗食日峰の完登で少しモチベーションが下がったようだ。
こうやって岩から離れるとやはり御師匠とは少なからず距離を感じてしまう。
それはそのまま”38歳の年齢差”に表せると思う。個人的には明日にでも
野人峰の試登や、牛心山に向かいたいぐらい。何だったら、完登は難しいが
もう一本、後半戦の牛心山の前に登ってもいい。でもこんな血の気の多い願望を
63歳の大内サンにぶつけるのも気が引ける。やはり大内サンとは”パートナー”といより
”師弟”という感じが強い。『卒業証書』というルート名も、大内サンに何かしら感じるものが
あったから命名したんだろうと思う。
正直、この場に同世代のパートナーが居てくれればどんなにイイだろうと思う。
バカ話も、冬にドコ狙うか?なんて話も、将来の話も、こういう場所・時こそ話したいのに
残念ながら、今隣には誰も居ない。断っておきますが、大内サンをすごく尊敬しているし、
非難するつもりもさらさらない。そもそもあの年齢で、あそこまで高いパフォーマンスを
発揮できるクライマーが(しかも本チャンで)日本に現役で何人居るだろう?
だからこんなぺーぺーが組んで貰うだけでも有難いが、それでも同世代のパートナーと
ガンガン気兼ねなく登りたいと思うのも、血の気の多い26歳としては自然な感情だと思う。
まァ、それも全部パートナー探しを疎かにした妹尾の自業自得なんですが苦笑。
8/3 渡暇村9:50~尖山子入口10:15~尖山子奥海子BC16:30
野人峰試登が事実上お流れな雰囲気で、牛心山BC建設まで日数があるので地元の
ポーター曰く『景色のよい』、尖山子溝へトレッキングに向かう。行動食のヤクのチーズは
不思議な味。しかし、この溝(谷)は大溝なんぞと比べるとアプローチの傾斜が急で
道も悪い。案の定、先を急ぐポーターと李慶サングループと、遅れだした大内サンの
距離が離れ、妹尾が双方の中間に立ってなんとかバランスを保っていたが、
とうとう妹尾まで先頭グループを見失う。20分ほど笛鳴らしたり、名前を呼ぶが反応なし。
ヤバイ、全く道がわからないしビバークか?とその時、まったく予想外の方向から
ポーターの姿が。心配で戻ってきたのだろうか?
『仕方ねえヤツラだなァ』みたいな顔してたので、一瞬カチンときたがガマンガマン。
大溝も、この尖山子溝も、たぶん牛心山も、荷物を運んでくれたのは他でもない彼ら
なのだ。彼らの協力無しにこの地域でのクライミングはありえない。それを思えば
多少の行き違いは笑い飛ばすぐらいの度量でなければ・・・反省。
ほどなく小さな海子(小さな湖?大きな池?)の畔にテントを設営、標高4500m。
今回は李慶サンと大内サン、妹尾の3人なのでテント1張りのみ。夕方、近くを散歩するが
双橋溝の対岸には5000m峰が連なり壮観、遠くに天狗食日峰も見える。
8/4 尖山子BC~尖山子奥氷河10:45~BC12:00
朝からガス、9時過ぎに散歩に出る。歩いてると双橋溝から湧き上がってくるガスに包まれ
五里霧中。さしずめ自分の人生とおんなじ(笑)。ガレ場を歩きながら色々考える。
今までのコト、今まで登ったルート、これから登りたいルート、これからのコト・・・。
だけど確固たる何かに行き着くことはない、当然ですが・・・。その時、ガスの切れ間から
対岸の5000m峰群が顔を見せる。
『ジツニクダラナイ。チッポケダナ、オマエハ・・・』
そう云われた気がした。実にジャイアニズム的な上から目線で苦笑。うん、今はとにかく
目の前のコトを一つ一つ、やっていこう。その積み重なりがいつか答えになるんだろう、タブン。
それにしても・・・寿司クイテェ、中華飽き気味。まあ悩んでも腹は減るんですよ、
食べ盛りなんで。昼頃BCに帰ると、大内サンはまだ外出中でなかなか戻ってこない。
李慶サンは口では『大丈夫デショウ』とかいいつつ心配のご様子。
結局『ちょっとそこまで』とかいって片道3時間かけて尖山子の基部までいってきたとのコト。
李慶サン、苦労するよなァ(他人事)。夕食後、荷揚げで上がってきたポーター1人を加え
4人でゲーム。ガス缶の蓋で裏表を当てるゲームだが・・・正直激ツマンネ苦笑。
でも最後はヤケクソで本気になり夜は更けていく。
8/5 BC9:30~尖山子入口13:15~渡暇村14:00
今日も朝からガス。出発直前には雨からとうとう雪に変わり、手がかじかむ。
下山でも大内サンは相変わらず植物写真に夢中で他の3人を待たせまくり。
僕がもしまつど岳人で同じことしたら、多分松サンに怒鳴られ、ゴルゴさんに嫌味言われ、
玉サンに向こう半年間飲み会でネタにされるんだろうなと苦笑。
しかし、ポーターの王さん(弟)は行きも帰りもキノコ類を熱心に取ってる、抜け目無し。
8/6 休養日
朝からド快晴。こんな日に休養日はもったいないが、牛心山BCで必要な物資のチェック
でやむを得ず休養日とする。李慶サンは明日からの準備。大内サンは民宿の台所を
占拠してマツタケ(正確には、アカマツ生えてないんでマツタケではない)の串焼きを料理中。
明るい廊下で『プロ論』という本を読む。少し古いが各業界での成功者へのインタビューを
集めたビジネス本だ。流石に一流の言葉は重いが、どれもちゃんと考えれば”当たり前”の
コトを述べていて、あっと驚くことはない。どんな世界でも一流は”当たり前”のコトを
当たり前に、自然にできる人なんだなと思う。普段読まない(読めない笑)こんな本を
読む機会があるのも、海外登山の醍醐味といえば醍醐味だろう。この本の中で
今の自分にふさわしい言葉は『目の前のことに全力で取り組む』。そう、牛心山北東壁だ。
8/7 渡暇村8:00~紅杉林8:40~鹿耳沖塘BC12:00
~牛心山北東壁取付14:15~BC18:30
本日からいよいよ後半戦が始まる。天気も快晴の下、懐かしい白海子や来年挑む野人峰を
横目に車で一路紅杉林へ。そこからは3時間ほどの短いキャラバン。今回はまたしても
人手が足りず、民宿の増築工事で泊り込んでいる大工のニーチャンまでポーターに
来る始末。休憩中、言葉が通じないものの日本人最年少のためかポーターからも
イジラれている気がする、てかイジラれてる、絶対。しかし、こんな彼らはホントに頼もしい。
日本ならいざ知らず、この標高でザック二つ担げるパワーにはホント頭が下がります、謝謝。
途中、へばった若いポーターの荷物を持つ羽目に。たまにはこんなのもOKOK。
BCを建設後、牛心山を偵察に大内サンと向かう。牛心山北壁は傾斜が強く、7人でワイワイ
言いながら登るには(しかも5日で)ハードルが高そうなので、北東壁に狙いを定める。
さあ、モチベーションも上がってきた、いよいよ始まる。かの”ユキブタ”も撮影に成功。
8/8 休養日
夜から雨。この時点で本日予定の試登はお流れ。昼頃から本格的に雨。
昼食後の雑談の中で李慶サンから今回の登山手配の裏話など色々聞く。ポーターの手配、
必要物資の計画等、ただただ頭が下がるばかり。まだ登山の半ばだが、今回の登山の
成果は李慶サンなくしてありえないだろう。登山に集中できるのはBCにしっかりした
連絡官がいるからこそ。数多くの日本登山隊の面倒を見てきた李慶サン曰く
『結局、最後は人なんです』 彼の言葉は重い、が違和感はない。
昼食後、テントの中で軽く筋トレしてみる。考えてみれば、今夏の最大目標はこの登山だが、
日本に帰れば、すぐに冬に向けたトレーニングが始まる。まだ5.11台を確実に登る力なんて
全然ないし、冬壁やアイスを考えれば帰国後、できるだけ早く出発前のコンディションに
戻したい。過去3回の海外ではいずれも大抵、身体能力が下がり戻すのに時間がかかった。
忘れてはいけない、僕のクライミング人生の先はマダマダ長いことを。
明日からはいよいよ後発組が到着する。李慶サンは雨の中、物資に不安があるといって
下山していった。本当に丁寧な仕事ぶりに感謝。
(後編に続く)
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