7月7日~12日
日置
梅雨に入ったらろくに山にも入れないだろう。職業家事手伝い、せっかくある時間を無駄にしては撥が当たる。また中国の山でも登ってくるかなと四川省の地図を適当に眺めていると、四方を五千メートル級の山に囲まれた氷河湖を発見。四川省で氷河湖は決して珍しいものではないが、盆地の真ん中にあるこの湖はかなり特殊に見えるし、一番近くの村から入るにも4600メートルの峠を徒歩で越えなければならない山奥である。いったいどんな景色になっているのか実際に見てみたくなり、早速中国行きの切符を手配した。
入山まで
上海から中国入り、汽車で成都へ。成都からバスに乗り、茂県で松潘行きに乗り継ぎ岷江郷で途中下車。最後は軽トラで大姓郷に入る。
7月7日
大姓郷12:00―出合16:00―営地18:00
大姓郷からは谷沿いにトラクター道が続いており、ちらほらチベット人の民家が見える。途中から右の枝沢に沿った山道をたどり、一気に高度を上げていく。
情報がまるでなかったため、ピッケル、アイゼン、ロープからクライミングシューズまでなんでも詰め込んできたリュックはパンパンに膨れ上がり、最初からもうへとへと。だが急いでいるわけでもないので気にせずゆっくりゆっくりと登っていく。下の村に住んでいるチベット人だろう、元気な歌声が聞こえてくる。
3700メートルくらいまで登って幕営とする。高山植物が遠慮なく咲きまくり、どこもかしこも花、花、花、テントを張るのも花の上。草花を愛でる者としては非常に心が痛むが、だって花の咲いていないところがないのだもの、仕方がない。
7月8日
営地7:30―営地17:30
朝から雨、テントから出て小便をしていると、向かいの森から獣の鳴き声が聞こえてきた。犬に似ているけれどこんなところに犬はいない、たぶん犬のような獣がいるのだろう。
樹林帯ではかなりはっきりとした道であったが、抜けてしまうとうっすら踏み後が残るのみ。藪に入るともうわからない、右に左にうろうろしながら進んでいく。
重たい荷物に雨、高度も上がってきて苦しい。4100くらいまで登ると完全に圏谷地形となる。雪も氷もないが水は恐ろしく冷たい。恐らく地下には氷が残っているのだろう。
峠はまだかと上を見ると、どうやら少し上のほうから下り始めているらしい。急いで上まで登り、そこから間違いなく下っているのを確認して大喜び。よしよしと言って下っていくと、突然氷河湖が出現。波一つない青白い湖に暫く見とれたが、同時にその上に更に広がる巨大なカールも発見し、感嘆とも失望とも言える不思議な声をあげてしまった。
すっかり騙されたが誰に文句を言うこともできない。仕方なく登り始める。ここまで来るとほとんどガレ場で、根性のある高山植物だけが気合で生えている感じ。ヤクが数頭うろうろしているが、あの巨体でお腹いっぱいになるのだろうか。
斜面を登りコンパスで峠を確認するも、上はみな岩壁となっていてとても越える事ができない。少し高くなっているが、一箇所だけ越えられそうなところがあった。もういい時間なので、峠越えは明日としてテントを張った。
7月9日
峠手前8:00―最高点9:30―出合16:30―営地17:30
雨は上がっていたが頭が痛い。4500を超えてもほとんど雪がないので、雪用装備はデポして行くことにした。
昨日確認した鞍部を目指して登る。だが登りきるとどうだろう、噴火口のようなカールがもう一つ。底には池まである。進めなくもないが、下におりて登り返さなければならないし、登りきってもその先がどうなっているか全く不明。非常に頭が痛く、もうすぐ高度を下げたい。暫く悩んだがもうここまでにして、一度山を下りることにした。(後で聞いた話ではやはりここから稜線を越えられたらしい)
デポした装備を回収し、本来た道を戻る。さて、このあとどうするか。もう山登りなんか止めにして九塞溝あたりを観光してこようかなんて弱気なことも言い始めたが、さすがにそれはまだ早い。まず大姓郷に宿があるらしいからそこまで戻り、そこで情報を収集し、装備を整理して出直すことにした。f
しかし途中で地図を見ていると、他に考えられるルートはあと二本、二本とも峠の標高は最初のルートの峠より100メートル程低い。地元の人間が花海子まで行っているのは間違いないから、この二本のどちらかにもっとはっきりした歩きやすい道があるに違いない。そう考えると大姓郷に戻る必要がないような気がしてきた。いらない装備は草むらに隠しておけばいい。直接次の谷に入るとしよう。
出合まで戻り、本流沿いに山道を少し歩いたら藪にいらない装備を隠し、また少し歩いて3400メートルくらいで幕営した。
7月10日
営地8:00―稜線15:00―営地17:30
暫く本流沿いにすすみ、右の谷に入っていく。良く踏まれており、馬の蹄の跡もある。荷物も軽くなり歩くのも楽になった。今度は期待できるだろうか。
樹林を抜けると圏谷となり、ヤクが放牧されていた。小屋があったので庭で座って休んでいると、なんだかヤクたちがぞろぞろと集まってきた。最初は写真でも撮ってほしいのかなと思っていたが、どうも雰囲気が違う。みなこちらに向かってがんを飛ばし、頭を下げてブヒブヒ言っている奴もいる。中途半端だが威嚇しているように見えなくもない。とにかく彼らが私を歓迎していないことは確からしい、そうとわかるとあの巨体だ、囲まれるとかなりの威圧感があって怖い。刺激しないようにそっと荷物を背負い、さっさと離れていくことにした。
前の谷と同じで樹林帯を抜けると道はすっかりなくなってしまった。カールの真ん中を小川が流れる素晴らしいところだが、ガスが濃くて稜線が全く確認できない。コンパスを見て何とか稜線まで登るも向こう側が断崖絶壁でとても降りられない。仕方ないのでカールの底までおりて幕営することにした。
雉の番いが霧の中で走り回っている。品のない泣き声とガレ場を走り回る様子は日本の雷鳥のよう。他にもガラガラドンみたいな毛の長いヤギが沢山崖の上を駆け回っていた。ヤクに紛れてメーとか言っている奴がいておかしいと思っていたのだが、やっぱりヤギが混じっていたのだ。この山は花だけでなく野生動物も豊富だ。
7月11日
営地8:00―稜線9:40―営地16:00
昨夜若干雨が降ったが、朝テントから顔を出すと晴れていた。昨日も峠を越えられなかったため、花海子はもう駄目かなと思うも、やっぱりこのままでは帰りたくない。稜線の小さなピークでもいい、とりあえず山頂に立とう、せめて稜線の向こうがどうなっているか、それだけでも見ておきたい。気合を入れて出発。適当な尾根に取り付き、急登をひたすら登る。昨日登って行った辺りを見ると、ガスの中でもちゃんと最低鞍部に出ていたようだ。やるじゃん俺。
登りきると稜線の向こう側は幅4キロの大圏谷、大草原でヤクの楽園になっていた。またそこから下も岩壁でなくガレ場だったので簡単に降りられそう、どうやら花海子への道が開けたようだ。
草原に下りて休んでいると、向こうからヤクたちが一団となってこちらに向かってくる。しかも今度の奴らはなぜか自信満々、数も昨日の比ではない。峠を越えて疲れているのに休ませてもくれない。大きく迂回しながら歩くも奴らはまだついてくる。その後もできるだけヤクを避けて広い草原をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら歩いていかなければならなかった。
なだらかな草原が急斜面になるところで、とうとう花海子を確認することができた。どうやら湖というより湿地になっているらしい。周りには森が広がり、向こう側には5000メートルの三牙羌が壁のようにそびえている。ここまで来るのに随分時間がかかってしまったが、ようやくここまでやってきたのである。
そろそろ踏み後を見つけないと樹林帯で動けなくなる。ガスが切れた瞬間に周りを観察して踏み後を見つける。それをたどると立派な山小屋にたどりついた。誰かいますかと声をかけてみたが返事はない。しかしこの先の道はしっかりしていた。これを行けば平武県側に抜けられるのだろう。計画では大姓郷に戻ることになっていたが、あのヤク帝国を通るのはもう御免、どこまで歩くか知らないが、平武県側に下山することにした。
暫く下ると大きな湿原に到着。もう花海子はすぐ隣で、この湿原は上からも確認できた。花が沢山咲いていて綺麗だがそこで道が消えている。また樹林帯に入らなければならないので道がないのは面倒だ。一時間ばかり探し回って道を発見。たどっていくがどうやらそれは花海子には向かっておらず、そのまま下に向かっているらしい。結局花海子にはたどり着けなかったが、上から見ることができたし、すぐ隣の大湿原には到着できたので満足だった。
途中笹薮を通り抜け、パンダがいないかなと注意してみるも、やっぱりいなかった。ちょっと残念。(地元の人間は見たことがあると言っていたので、実際に生息していることは間違いない)
森の中を歩いていると一瞬焚き火の臭いがした。どこかに人がいるのかなと思ったがどこだかわからなかった。
またまた突然に池が現れた。綺麗なのはいいのだけれど、こういう開けたところに出る度に道がなくなる。池の周りを探すも見つからず。池にたどり着く前に踏み後が交差しているところがあったがあの道を行くのだろうか。はっきりせず気になるが、もういい時間なのでここで幕営とする。
7月12日
営地7:30―平バ11:30
池から昨日来た道を少し戻り、交差している踏み後を歩いてみると立派な岩小屋に到着。藁がしいてあり焚き火の跡もある。昨日の煙の匂いは恐らくこれだろう。道はどうやらそのまま続いているらしくほっとした。
沢沿いに下っていくのだが、滝やゴルジュはないくせに水量だけはやたらと多い。どっかで渡渉するのかな、こんなところ渡りたくないなと言っていると、道は川原に消えて流れに丸太が立てかけてある。うわあと思いながら丸太を踏んでみると見事につるつる。でも渡らないと帰れないと思い、靴を脱いでプルプルしながらなんとか右岸へと渡る。するとどうだ、またすぐ左岸に戻っているではないか。ふざけんなよ、こうと知っていたら藪を漕いでいたわと叫んでも仕方ない。つるつるの丸太棒はかえって危ないので浅いところを探して渡渉した。その後も嫌な渡渉を繰り返したが、いい加減水の量が多くなってくると木を絡めて作った(丸太棒と比べると)立派な橋が出てくるようになった。活きた木をそのまま使っており、なかなかの職人技。チベット人もなかなかやる。
道は下るほど歩きやすくなる。爆流のすぐ隣を歩いていくのだが全く心配はなかった。そのうちトラクターが通れるほどになり、平バに到着。人がいたので下の村までどれくらいかと聞くと、更に4、5時間は歩くと言う。結局オートバイに乗せてもらうことになり、これで山登りは終了した。
下山後
平バからオートバイで虎牙郷に下る。虎牙郷で一時警察に捕まり(外国人が国家自然保護区に入るには許可が必要)、事情聴取、所持品検査をされ、危うく写真も削除されそうになるが、とりあえずお咎めなしで許してもらう。警察の車でバスが通る道まで乗せてもらい通りかかったバスで小河郷まで。乗合タクシーに乗って松潘へ。松潘から乗合タクシーとオートバイで山道の入口まで行き、デポした装備を回収後再び松潘に戻る。松潘からバスに乗り茂県で乗り継いで成都へ。成都からは汽車で上海に戻った。