2008年8月6日(水)~29日(金) (表記時間はすべて現地時間、キルギスの時差は-2H)
メンバー:妹尾(まつど岳人倶楽部)、Y野井Y史・T子、O内N樹・K子 計5人
(*前編に登攀中の写真を新規追加しました。ご覧下さい。)
8月16日(土) 休養日
本日はO内組は休養日。昨晩は雨、谷の両岩壁上部にうっすら雪がついている。
Y野井組は昨夜一晩、厳しいビバークであることは明らかだ。朝から双眼鏡で
二人の姿をひたすら探す。10:00過ぎ、ルート上に懸垂下降中の
二人を発見、BCは安堵。
まだかなり上部なのでおそらく取り付き到着は夕方になるだろう。
妹尾は昨日下山して疲れているのに暴飲暴食でまた腹の調子がワルイ。
食欲と胃腸の回復が一致してないのはツライ・・・。
16:00過ぎ、二人を迎えに取り付きの対岸まで行きO内サンと待機。
ここらへんの渡渉は氷河が源流部なので朝夕でかなり水量が変わり、朝は楽勝でも
夕方は正直危ない。しかしY野井組は昨晩のビバークを考えれば是非とも今日はBCへ
戻りたいトコロだろう。案の定、渡渉を手伝うこととなる。
濁流が勢い良く流れる。こちらのロープの末端を投げてY野井組のハーネスにつなぎ、
O内組が対岸で確保。腰まで猛烈な濁流を受けながらY野井組も必死で渡る。
一瞬、バランスを崩して二人が倒れて流され緊張が走るが、O内サンの絶妙な
ロープワークでなんとか二人ともこちらへたどり着く。めでたしめでたし。
やはり昨晩はずぶ濡れで、ある意味(?)Y野井組らしい壮絶な
ビバークだったとのこと。軽度の凍傷が再発したようだ。
8月17日(日) 休養日
Y野井組は勿論、O内組も明日からのトライに備え休養日。
Y野井サンからロシア正教100周年記念峰・フランスルート(以降、フランスルート)
の情報を基に妹尾は午前中ルート図作成。
午後から天気崩れる。明日からなのに不吉な感じ。
夕方には回復、焚き火でマッタリする。
8月18日(月)
本日からO内組はフランスルートへ。しかし厳密には本日は渡渉して取り付き間での
アプローチのみ。
午前中、O内サンはこの付近にBCを昨日設営したらしいロシア隊に
渡渉で使える橋がないか聞きに行く。しかしあとで判明したのだが、実はロシア隊は
隣の谷(KaraSu)からこちらのルートに登りに来ていて、BCはこちらの谷(AkSu)には
なく、しかもこの時彼らは既にルートを登っていた。
当然、ロシア隊の痕跡すら見つけられず、12時頃O内サンが帰ってくる。
そろそろ水量が増えてくるのにノンビリ昼飯を食べ、14:00BC出発。
渡渉は絶妙のポイントを発見し、ほとんどぬれることなく渉る。
靴などノンビリ乾かしたあと、取り付きへ。
18:00取り付き着。持参したジフィーズやらラーメンで盛大に前祝。
正直BCの慣れない食事よりはるかにうまかった・・・ビバ日本食~
8月19日(火) 7:00取り付き~31P終了点19:30
5:30起床 、7:00登攀開始。O内サンリードでスタート。
基本的にⅢ~Ⅳ級のピッチが続く。前回の"THE MISSING MOUNTAIN"より
ラインが明確なリッジ上に展開しているのこともあって、かなりいいペースで登る。
1P20~30分ぐらいで片付けていく。所々で下降支点も確認でき、快適な登攀が続く。
さすがに後半は疲れてきたり、ラインを読み間違えてヤラシいスラブにてこずったり
してペースが少し落ちたが、31Pでビバークできるテラスに到達。
Y野井サンに聞いたのより少しイメージが違うがまあいいかと・・。
(これは翌日気づくが、実はY野井組がビバークしたテラスはここからさらに6~7P上で
我々O内組は予想よりかなり下でビバークしていた。)
朝のうちに水を入れておいたジフィーズを食べて、今夜もなかなかいい感じのビバーク。
BCとヘッドランプの点滅でお互い合図する。ツェルトの中でO内サンに頭を蹴られながらも
21:00就寝。
8月20日(水) ビバーク地7:00~37P終了点12:15~取り付き21:30
6:00起床、7:00登攀開始。出だしから朝イチには厳しいトラバースを妹尾リード。
ようやく突破し、ビレイポイントでハンギングビレイ。O内サンにGOのコールをすると
まだロープもクツも未装着・・・はやくしてえ~。
前日に31Pこなし、若干疲れがのこる。セカンドで登っていても息切れ少々。
2?才の自分が疲れているので当然6?才のO内サンはかなりキツそう。
そうはいってもまだ時間にはなんとか余裕がある、いけるトコまで登ろうと
思った矢先、37P目O内サンがリード1ピン目でとうとう堕ちた。
3~4mずり落ちただけだったが、こちらも油断していてロープを出しすぎており
みごとO内サンの臀部を喰らう。
そして37P目、O内サンリードで到着したテラスが、実はY野井組がビバークした
テラスだと気づく。昨晩ビバークしたテラスがそうだと思っていたが、現実は
ここからさらに60mロープで10P残っているらしいので、50mロープなら12~13Pはある。
この事実は少なからず疲労をより色濃くした。
二人とも少なからず疲労しているし、このまま集中力の欠けたクライミングで
傾斜の立ってくるルート最終部分の登攀は危険だろう。ただでさえ時間節約のため
10~15mのランナウトは当たり前の登攀において、墜落は致命的な事故につながる。
たとえ、なんとか登頂しても50P近い懸垂下降の余力は望めない。
38P目をリードしようとしたO内サンに敗退を申し出る。
悔しいがこれが自分達の実力だろう。クライミングは所詮道楽だ。
命以外のものは懸けてもいい、だけど命だけは懸けない。
その鉄則はたとえ大金はたいた海外遠征でも揺らいではいけない。
O内サンも快く承諾してくれた。
37P終了点のテラスで小休憩し、12:15下降開始。
前回のルートと同様、ここの地域のルートは基本60mでピッチを区切られており、
50mロープでの下降は時に新たな支点の作成、時にクライムダウンと
苦労させられる。
去年の中国・四川でも感じたが、O内サンの下降支点作りは
いつも勉強になる。適切な場所に迷いなく、合理的にハーケンやナッツ、
シュリンゲをきめていく。こういうのはクライミング暦2年の自分には
とてもよいお手本だ。そういう意味ではこの38才年上のパートナーは
どちらかというと師匠に近い存在なのだと感じる。
ザイルを組める時間は長くないかもしれないが、こういった技術を
貪欲に盗んでいきたい。
途中、ロープが引っかかり登り返すなどヘトヘトになりながら、
21:30取り付きに到着。アルパイン用のシューズでも
足が滅茶苦茶イタイイタイ。最後の余力で取り付きにデポしていた
ラーメンをすする。
これまたデポしていた寝袋に入り、満天の星空の下で就寝。
登攀を終え、無事下山したこの瞬間がたまらなく好きだ。
8/21(木) 取り付き8:00~BC9:30
ノンビリ起きてBCへ。本日最初で最後の核心はなんと言っても渡渉。
朝イチで水量は少ないものの、つめてええ。対岸ではK子サンがお出迎え。
Y野井組は昨日から”Central Pyramid”ルートへ行っているらしい。
遅い朝飯を心ゆくまで堪能するが、またしても食欲と胃腸の調子のズレを
忘れて貪ってしまう。いい加減学習シマショウ。予定通り(?)夕方ゲリで
夕食はお茶数杯とチョコ数個。夕方から雨。
Y野井組は予定では本日ビバークで明日朝までに下山。
しかし夕方の雨で下降中の二人をBCから確認済み。もしかしたら今日中に
降りてくるかもしれないとO内サンは出迎えに行こうと主張。
正直、こちらも本日降りてきたばかりで体調はすぐれないが、
O内サンの心意気に屈し、21:00”Central Pyramid”が一望できる場所へ。
自分としては30分ほど待機して下降の二人が確認できなければ
予定通りルート中でビバークしてると判断できると考えたが、
O内サンは「念のため24:00まで待とう」と主張。
自分も疲れているだろうに、それでもO内サンの仲間を思う気持ちに感服した
のも束の間、O内サンはさっさとツェルトの中で爆睡・・・・・・・・・・。
言いだしっぺが寝ないで下さいYOOOOOOOO!
結局、2時間半ツェルトの外で震えながら独りで暗闇のルートにヘッデンの信号を
送るのでありました。シタッパは辛い~
8/22(金) 休養日
午前中、下山予定のY野井組を出迎えに”Central Pyramid”の下のガレ場末端にて
ノンビリ待つ。日差しがあたるとやや暑いが、まだ疲れが存分に残り昨夜の寝不足も
手伝って、ついついうたた寝。11:00過ぎ、Y野井組を取り付きに確認。
しかし、ついに睡魔に勝てず寝てしまう。
起きたらO内サンに盗撮されてた。Y野井夫妻も元気そうだ。
8/23(土) 休養日
BC滞在日最終日。午前中にバスクBCへこの地域のルート情報を貰いに
Y野井組が先に出発。遅れてO内組も出ようとしたところ、ちょうどバスクトリオが
登りに行くところに遭遇、残念。
(あとでY野井夫妻はギリギリ間に合ってトポの写真GETできたらしい。)
昼過ぎに身を清めに(笑)川へ水浴びに。氷河の雪解け水は痛いくらい冷たいが、
こんな素晴らしいロケーションでの水浴びもまたクライマーにだけ許される贅沢だろう。
BCへ帰って、Y野井サンと二人でボルダー。
ハラ壊したり、カブッたルート登ってなかったせいかだいぶフリー能力が落ちていた。
「アルパインの遠征行ったらそんなもんだよ~」とY野井サン。帰国したらまずは
体重とフリー能力の回復にいそしまねば。
8/24(日) BC8:00~復路キャンプ地20:30
本日からいよいよ帰国の途に着く。往路の反省を踏まえてロバ隊を待たずに
メンバーはさっさと出発。
時々小休止を取りながら先を急ぐ。往路よりも風が涼しい。この中央アジアにも
秋が訪れようとしているのか・・・。
昼食時間になり、後続のロバ隊を待つこと1時間、14:30にようやく昼食。
往路で道の様子や距離はだいぶ分かっている。今日のキャンプ地は多分あそこで
あと2~3時間だろう・・・などとメンバー全員思い込んだが・・・、馬(ロバ)使いは
ドンドン先に進む。あれ?この先にキャンプ適地あったっけ?
それからメンバーの予想はステキに裏切られ、5時間近く歩かされた。
まあ明日の行程がそのぶん楽になるから良しとしよう。
夕食のラーメン、7~8分も煮込まないで!御願いだから、ボロ~ジャ~(コックさん)
8/25(月) 復路キャンプ地8:30~カラフシン谷入口集落12:30~Batken20:00
集落に近づくにつれ、あの暑さがジワジワ忍び寄ってくる。あち~
4時間ほどのキャラバンだったが、結構疲労した。
昼過ぎに集落に到着。甘酸っぱいリンゴとアプリコットがうまい。
少し昼寝した後、16:00にキルギス軍のジープが迎えに来た。
軍の基地で乗り換えた車はやたらガソリンくさい上に後部の窓が開かない。
キャラバンの疲労の上に暑さとガソリンの匂いはかなりキツイ。
20:00過ぎ、本日の宿に到着。
O内サンはガソリンにやられたらしくかなり体調が悪そう。
宿はロシアンサウナ(?)があったらしいが睡魔には勝てず。
8/26(火) Batken8:00~Osh14:00
朝から腹の調子が悪い。本日は5~6時間の移動のみなので
精神的に楽だが、いかんせん腹の調子が低空飛行。
Oshに到着後昼食。BCのいるときから夢見ていた
焼肉の塊が、よもやこんな腹の状態のときに出てくるとは!
食うべきか、食わざるべきか、それが問題だと哲学者並みに
悩んだ挙句・・・たべました。旨い美味いウマイ!
もうどうにでもなれい~
宿は往路でも泊まった民宿。久しぶりのシャワー後に昼寝。
幸せなヒトトキ・・・もつかぬ間、夜に猛烈なゲリ再び。
覚悟はしていたが、もういやだ。
4/27(水) Osh8:00~Bishkek19:30
本日は12時間の長丁場。この腹で耐え切れるのか・・・。
用心して朝食をほとんど食べなかったが、それでも危険な状態。
昼飯はこれまた美味そうな鳥のモモ肉の丸焼き。私めは
ジュースとサラダ・・・
Bishkekに夕方到着。腹もなんとか小康状態。ヨクガンバッタ。
本日のホテルは”Alpinist”。近くのスーパーで買出しをして
ささやかながら打ち上げ。
ホテルは快適でまた泊まりたいなと思える。オススメデス。
4/28(木)~29(金) Bishkek・Manas International空港(キルギスタン)6:00~
Moscow・Sheremetyevo空港(ロシア)9:00~成田空港29日9:00
朝3:00起床。飛行機が早朝発なので眠いが仕方ない。
Y野井組は別便なので成田までお別れ。
モスクワでは10時間の乗り換え待ち。あと~時間後には日本か、
と心躍るがそれにしても退屈。空港内の免税店をくまなく歩いたり
報告用の記録をメモしたり。時間が立つのがやたら遅い。
報告用のメモをまとめるとき、いろいろなコトが思い出される。
疲れたコト、きつかったコト、嬉しかったコト、楽しかったコト。
すべてが自分の、クライマーとしての血肉になるだろう。
いつかまた機会があれば再びこの地に立ちたい。
勿論、今よりはるかに強くなって。
そんなことを考えつつ、ふと隣を見ると
O内サンは床に敷いた新聞紙の上で爆睡。
ホー○レスじゃないんですから・・・(苦笑)
成田には朝到着。Y野井組と合流し、迎えに来ていたY史サンの御父母に 挨拶。アパートに戻って作ったのは大量のおにぎりと味噌汁でした。
*********************** 補足 **************************
・登攀に使用したギヤ(二人分)
50mダブルロープ、カム・ナッツ、ハーケン10枚、ビナ30枚、ユマール、アブミ、捨て縄。
*カムは最大キャメ#4、半分以上はエイリアンを計20本ぐらい。ロシア正教峰では
軽量化のため、キャメ#3.5を最大に15本ぐらい。2本のルートはいづれもクラックが豊富で
どのサイズでも使えるが、特にエイリアンを重宝した。ハンドサイズ(キャメ#2~#1)の
カムがもっとあればよかった感じ。
*登攀中の中間支点・確保支点はともにカム・ナッツで作成。数箇所ハーケンを使用。
*アブミはほとんど使用せず。今回登ったラインは自由に取れ、弱点を突けばⅢ~Ⅳ級の
フリーがほとんど。ただしクラックが消えたりすると5.10-のムーブが必要なことも。
*この地域のルートはおそらくほとんどが60mロープで開拓されており、50mロープでは
特に下降で支点に苦労する。
*下降支点は岩角にシュリンゲをかけたものが多い。ビナが残置しているものも多い。
(比較的新しめな感じ。)今回、敗退用にボルトを持っていったが、結局使用せず。
*天候に関しては、約2週間のBC滞在中、2~3日の周期でたまに雨が降った。
岩壁上部では雪となることも。岩の乾きは比較的早い。
*今回、エージェント(旅行代理店)は3つ通してキャラバン・BC・チケットなどの手配をした。
アースデスク(日本)、Kyrgys Concept Ltd(キルギス)、Fantastic Asia(イギリス?)
費用は結構高額。(詳細を知りたい方は御連絡ください) しかし、バスクチームにも
Y野井サンが聞いたところ、金額に大差なかったようだ。ポーランドチームは
自分たちのみで車等を手配して来たようだが、キルギス国内には検問所が多数あり、
そのような形態の遠征には英語・ロシア語(キルギス語)が堪能なことが必須条件。
まあ、現地エージェントに依頼するのが無難でしょう。
*治安については、ネット上の情報だとかなり危険な事件(日本人拉致とか)も
起きているらしいが、今回の遠征では特別身の危険を感じたことはなかった。
ただ運が良かっただけかもしれないが。
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今回の遠征ではO内夫妻・Y野井夫妻にお世話になりっぱなしで、
大変申し訳なく、大変感謝しております。
BCスタッフでは、気難しい顔してても実は激しい音楽を常に愛するコック・ボロージャ、
いまいちBC内で役割が微妙だったが、近代五種もテコンドーもやるスポーツマンのマックス、いつもヒマそうだけど、8a(5.13b)も登るらしい強力なクライマーのバスクチーム、
ゲリの私めを最後まで心配してくれた馬飼いのアンチャン、
BCにミルクやら何やらたまに売りに来てた羊飼いの少年、
「HEY~GUYS~」が口癖の無責任・能天気なエージェント支店長・セルゲイ、
キルギスで出会ったすべての人々。
観光旅行なんぞでは決して出会えなかった人たち。
クライミングを通じてだからこそ出会えた土地。
ここで何かを得たと思う。
何を得たか判るのはだいぶ先だろうけど、確実に得られた何か。
その何かを糧にして、またしばらく攀じる日々が続きそうです。
次は・・・。