2009年7月16日(木)~8月20日(木)
A隊:全日程、B隊:8/7(金)~17(月)、C隊:8/8(土)~20(木)
メンバー
大内尚樹(A隊・隊長)、大内和子(A隊・テントキーパー)
佐野耕司(B隊・登攀L,東京YCC)、畑秀信(B隊・装備,東京YCC)、
船山和志(C隊・医療,東京YCC)、政金聡子(C隊・装備,東京YCC)、
室屋博(B隊・装備,早大ハイキングクラブOB)、
妹尾(A隊・記録、まつど岳人倶楽部)
先週末アップしますなんて大ホラ吹いてスミマセン。お待たせ致しました。
とうとうやってきました。今夏の最大山行。
今年は2年前に引き続き四川省・四姑娘山群双橋溝です。
ちなみに今報告は『ヤマ関係なくね?』的なオカズ的雑記も
多いので、”暇なとき”にお読みクダサイ。
さもなくば時間の浪費を後悔するコト必須です(笑)。
7/16 松戸駅4:30~成田空港6:45
~16:30中国・成都国際空港~ホテル17:00
前日はバイト終了後、慌しく帰宅・パッキング後に玉サン宅へ。
フライト出発時間が早く、日野からでは間に合わないので。
玉サン宅は広く、玉サン部屋は山屋垂涎モノ。玉サンどうもサンクスす。
成田では大内サン夫妻と無事合流後、朝イチだが、かなり並ぶ。
結局、9:00発予定が9:40出発。海外遠征は毎回そうなんですが、
ここ2~3日は準備等でドタバタで睡眠不足、機内ではひたすら爆睡。
北京の乗り継ぎでは、鳥インフルの検査が厳しい。金属探知もキビシイ。
いくらなんでも登山靴の金属にピリピリすんなYO~。
空港ではエージェント(連絡官兼現地世話役)の李慶サン、姜サンが
お出迎え。成都の街並みは、地震の影響など全く感じなくエネルギッシュ。
現在地下鉄が建設中とのコトです。ホテルで荷物整理後、夕食へ。
少し高級そうな中華料理。辛いけどウマイ。今日はひたすら
喰って寝るの繰り返し・・・。
7/17 ホテル6:30~宝興13:00~夾金山18:00
ホテル出発後すぐに地元の食堂で朝食。饅頭と揚げパンウマー(゜д゜)。
なんか素朴な味で中国来たんダナと実感。成都から双橋溝までは
ひたすら車移動。5人と個人装備・テント・食料などを一台の車で
済ませたので、もうギュウギュウ、マジ勘弁す(笑)。足元まで全部荷物で
後部座席は全員体育座り。でもなんか”旅”って感じがする。
変な姿勢の割には今日も爆睡。宝興で昼食、たいして空腹でもないが
やはり旨そうな大量中華を結局完食。夾金山付近で高度順化のため
少し車を降りて歩く。この2~3時間で標高が2000m位あがっているので
少しダルく、すぐ息切れする。途中で雨が降ってきたが、残念ながら車は
先に行って待っているので、ゼイゼイ息切らしながら急ぐ。
途中、車のパンクなどアクシデントあり。ドライバーの完サンがテキパキ
交換するのをボ~っと見る。(勿論、少しは手伝いましたヨ)
夾金山周辺は、ぬかるんでいて結構道が荒れ気味。でも工事用に
大型トラックはバンバン走る。中国は逞しい。
夾金山の峠を越えた所で本日は一泊。最初は道はずれの草原に
幕営したが、ここでヤクの襲撃(笑)。人間の排泄物に含まれる塩分狙いらしい。
直接危害を加えてくる訳ではないが、2~300kgの巨体が(しかも群れで)
テントに近寄ろうとするのは流石に不安。やむなく近くの工事関係の
プレハブ小屋群の一角に間借りさせて頂き、テントよりも快適な一泊に
ありついた。ヤク払い(厄払い)できず残念、なんちって。
標高が4000近いので全員軽い頭痛。
テント(プレハブ)村では14歳の少年も立派に働いていた。
夕食を一緒に食べたが、『遠慮』というのをちゃんとわきまえている。
彼らを見ていると、いかに自分が甘えた環境に身をおいているか痛感する。
かといって今、ヤマをやめる訳にはいかない。でもいつか、この周囲からの恩を
どんな形でもいいから次の世代へ還元したい。どんな形でもいい、必ず。
7/18 夾金山15:00~双橋溝入口16:30~双橋溝渡暇村18:00
朝から雨、9時ごろノンビリ起床。大内サンは高度障害であまり
眠れなかった様子。朝飯は中国版アルファ米?とパンケーキ。アルファ米なんて
中国にあったのかと意外だったが、ちゃんと食える。弁当形式で、日本同様に
アウトドアや災害用にあるとのこと。日本からわざわざ高いジフィーズを
買ってこんでもいいやん。天気悪いので昼寝、しかし昼過ぎから晴れ間が。
1日予定を早めて双橋溝へ向かう。高度障害は全員概ね収まったよう。
溝入口で車を乗り換え、2年ぶりの王サンの民宿へ。
ついてビツクリ!、なんと2年前は平屋の民宿が、なんと3階建に。
四川地震の震災復興のため、多額の補助金がこの地域周辺にばらまかれ、
渡暇村をはじめ、周辺地域は建設ラッシュ真っ最中だそうだ。
いよいよ明日は大溝のビッグウォールとのご対面。それにしてもこの3日間は
ひたすら食って寝たなと・・・。日本にいた頃は考えられん極楽ス。
7/19 渡暇村9:00~大溝入口9:45~13:45大溝BC
本日は大溝BC建設へ。快晴の下、王サンの愛車(動くのが奇跡笑)で
移動途中に日本で言うところの自然公園管理事務所のようなところへ登山申請。
基本的にこの地域の一定標高以上(4000mぐらい?)の登山・トレッキングは
要申請。しかし、李慶サンは笑いながら、
( ´_ゝ`) 『(登山料が安いので)トレッキンッグでの申請シマシタ。
ザイル見られたら大変デスネ』
( ゚Д゚) おいおい・・・苦笑。
BCまでのアプローチは登り約4~5時間。下り約3~4時間。途中、偶然出会った
羊飼い(ヤク飼い?)のオッチャンに、牧用犬を押し付けられ、犬の散歩状態(笑)。
途中、先頭のポーターグループに引き離され、最後尾で植物写真に夢中の
大内サングループを引き離してしまい、樹林帯の中で独りぼっち・・・。
薄い踏み後でやや不安・・・やばいかも、この状況は2年前もたしか。デジャヴ?
休憩していた先頭グループを見つけたときはほっと一安心。
キャラバン後半は谷の両側に岩壁が見え始め、テンションもアゲアゲ↑す。
今回は、例の震災補助金のため集落全体が景気良く、ポーターを
集めにくい状況のよう。(集落に割りのいい仕事がたくさんあり、ポーターの
安い賃金は敬遠されがち) なんせ人数が足りず、民宿の女将さんまで出張って
きたのだから全く頭が下がる。今回のBCスタッフは李慶サンと花の17歳(笑)、
ヤンヤン(♂)。ヤンヤンはどうも李慶サンの養子で(日本のそれとは若干意味が
異なるらしいが、その話は後ほど)まじめで育ちがよい感じ。
7/20 BC9:30~5120m無名峰東壁基部12:30~大溝最奥コル14:30~BC18:00
本日は偵察。ざっと見た感じ5120m無名峰か5086m無名峰かというところ。
大溝の岩峰群は下部岩壁も発達しており、その間を縫うように草付きを
歩く箇所もあって、アプローチも入念に偵察が必要。5120m峰東壁は傾斜が強く、
逆層が発達するかなり手ごわそうな壁。中央にダイレクトで頂上へ抜けるラインを
見つけるが、フリーなら5.11~12台かなという箇所が多い。今まで見た壁の中で
一番壁らしい、まさに『壁』。いつか大胆なフリーで挑戦したくなる課題だ、そして未踏。
二人で話し合った結果、10日間前後で落とせそうになく、大内さん好みの
鋭峰でもある5086m無名峰の南西カンテを今回の目標に決定。
ラインが決定し、双眼鏡でクラックの発達状態やビバーク適地などを相談。
なにせ38歳も年齢差があるが、こういうときは話が弾む。(普段は・・笑)
その後、大溝の最奥のコルへ向かう。あまり情報の少ない地域なので、
現地踏査は重要。予想通り、大溝の奥は2年前に訪れた白海子に続いていた。
コルは2級程度のクライムダウンが必要だが、ロープ無しで通れそう。
また、大溝奥の下部岩壁の上には海子(大きな池)があり、BC適地。
ただ、ポーターは下部岩壁の草付きを嫌がりそう。
下りは、下部岩壁群を下ろうとしたが、やはり下り口が全くわからない。
ケルン等の目印が必要になるだろう。結局、来た道を大きく迂回しつつもBCへ。
それにしても明日は荷上げがあるんで早く帰りたいのに、大内さんの
好奇心というか、寄り道好きには参ってしまう苦笑。
7/21 BC9:15~5086m南西カンテ取付14:30~3P終了点16:00~BC17:45
4日連続の快晴、この地域では珍しいと大内コメント。このまま続けば今回は
楽勝か?なんていいながら本日は荷揚げと試登(ルート工作)へ。李慶サンにも少し
ギア類をもって頂き、和子さんも加え4人で取り付きへ。下部岩壁帯は下降で
迷いそうなので、念入りにケルンを積んでいく。相変わらず大内サンはノンビリペース。
「試登?なにそれ、おいしいの?」なんてセリフが今にも出てきそうで・・・苦笑。
同世代のパートナーがいれば、さっさと行きたいぐらい。
結局、『14時には下降開始』なんて事前打ち合わせも儚く、取付に14:30到着・・・。
しかし、行ける時に行っとくのが常識。試登に入る。
1P目は2級程度でノーロープ。すぐに草付きの広いバンドがあり、30mほど右へ
トラバース。2P目から実質の登攀が始まる。顕著な凹角のクラックを辿る。3P目は
引き続き凹角に沿って登る。クラックは凹角やフレークに適度にあり、岩も乾いて
快適の一言。3P目はリードさせて頂いたが、快適すぎてプロテクションを
忘れかけ、15mランナウト。いや~、プロテクション忘れるって、ホントに
あるんですねぇ。3P目の終了点にギヤ・食料・水・燃料等をデポし、ロープを2本
Fixし、下降。いよいよ明日からトライが始まる。
7/22 BC5:30~南西カンテ取付9:00~10P終了点19:30~8P終了点20:00
本日からいよいよアタック開始・・・なのに前日までの晴天から打って変わって
ドンヨリ曇。まあ、後で晴れたら悔しいのでとりあえず出発。取付には8:00前には
到着できたはずが、もっていく水を汲もうとしていた小川がなんと涸れていて、
見ずば探しに時間を食う。1~3Pは昨日のFixロープをユマーリング。
(詳しいグレード・ピッチ情報は中編で)
5Pまではツルベで進むが、セカンドは3日分の食料・燃料・水・防寒着・ギヤetc・・・
25kg以上のザックを背負う必要があり、ここは妹尾がセカンドに専念。
目的はあくまで『二人で頂上に立つこと』、リードは確かにしたい、魅力的だ。
でもそんな自我をだしてこの登攀が失敗に終わってらクダラないの一言だ。
つまらないリードへのこだわりは捨てよう。このレベルのグレード(5.7~10a)なら
成功のカギの一つに『いかにセカンドが荷揚げを早く行えるか?』が挙げられると思う。
どんな役目であれ、『自分にしかできない』役目があるなら、光栄なことだ。
7P終了点でとうとう霰が降り出した。短時間だが二人ともずぶ濡れ。
少し待つと、再び晴れ間が見えてきたので先に進むことに。しかし、コレが結果的に
まずかった・・・。9P目では再び、てかさらに強烈な霰+雷(泣)。急いで
狭いフレーク沿いにツェルトを張るが、岩と背中の間は霰が積もり、足元はヌレヌレの
悲惨な状況。しかも真横で雷がバンバン鳴り、生きた心地がしない。
どうも雷雲の中に入ったようで、どこかに雷が落ちればあたり一面ずぶ濡れなワケで
もう一巻の終わり・・・サヨナラミナサマ状態。
そんな中、ふと隣を見ると我が師匠は・・・・五目御飯喰っとる・・・・。
(;´Д`)『大内さん、何でそんなに余裕なんスか?』
(・∀・) 『いや~、妹尾クン、死ぬときは死ぬんだから慌てても仕方ない(笑)』
かないませんなぁ。
嵐が小康状態になったところで、『悪場の大内』が本領発揮。
乾いていれば5.10a~bぐらいのピッチだが、岩はずぶ濡れで状態は最悪。しかし、
時にA1を交えて粘る粘る・・・ホント脱帽です。結局、10P終了点にもビバーク適地はなく
明日の天候回復を祈って、9~10PにロープをFix。8P目終了点にテラスにビバーク。
夜中にさらに天候悪化。背中と岩の間には雪?がぎっしりつまり、足元は水が
ちょっとした沢ぐらいの流れを形成。雷はまたしてもお隣さん?ってくらい近くで連発。
最悪のビバークでした。
7/23 8P目終了点7:30~10P目終了点8:30~取付13:00~BC14:15
最悪のビバークに耐え、朝が明けた。隣を見ると、(スターウォーズの)ヨーダ・・・じゃなく
大内サンもかなり消耗した表情。夜中の時点で『明日天候が回復したら頂上を狙おう』と
の企みも時節小雨の中、脆くも崩れ去る。まだ大溝での滞在日数に余裕があるので
迷わず一時撤退ということで一致。妹尾が10P終了点までのFixをユマールし、デポを
回収、下降を開始。しかし、いきなり最初のロープ回収でスタック、大内さんが登り返す。
傾斜が岩壁下部は傾斜が緩く、フレークが多数あり登るのは楽だが、それは裏を返せば
懸垂下降でのスタックの危険性が高く、回収できても摩擦が大きくロープを引くのに
一苦労ということ。6P終了点ではアンカーのハーケンが抜けるアクシデントも。
例え大内サンが打ったモノでも、100%じゃない。チェックは手が抜けないが、それは
大内サンへの信頼とは別物。独立した二人が組むからこそ『パートナー』。
やっとこさ取付に戻ると、デポしておいたクツ類はビショビショ・・・、下部岩壁帯の
スラブも濡れて滑りやすく、大内サンがコケて心配した直後、妹尾がコケてる始末(笑)。
ようやくBCに辿りつき、李慶サンのホイコーロで昼食、激ウマ!今日はテントで寝られると
フラフラでテントに戻るとなんかテント床が光ってる。キレい~・・・なんで?
床上浸水やんけぇ~
昨日の大雨で、テントの下に窪みに雨水がたまったのが理由。銀マットのおかげで
大した被害ではなかったが、疲れた体でテントを移動させるのはかなりダルい。
もうヤケクソで物干し竿まで枝で作って、曇だけど濡れた衣類・ギヤ類を乾かす。
負けじと大内サンの衣類もテントの屋根に磔獄門状態でした。
7/24~25 休養(停滞)日
24日は休養日。前日は下山直後だったが、食事をガッツリ食べれたのに今日は
全身ダルくフラフラ。腹の調子も悪化し、朝食もあまり食えない。天気は相変わらず
曇と小雨の繰り返し。夕食には李慶サンがかなり手の込んだカレーを作ってくれた。
李慶さんはどうやら、近いうちに成都に落ち着いてカレー屋を開くつもりらしい。
その為かカレーもかなり研究されていて、出汁やら具材やらも一味違いウマー(゜д゜)。
25日も天候・体調ともイマイチ。結局停滞で食事→談笑→昼寝の繰り返し。
大内サンによる過去のクライマー談義は勉強になる。まだ夏の目標の真っ最中なのに
冬のことでモチベーションが↑(笑)。今年は冬壁・アイスをメインで、それとは別に
今年の南ア縦走より格段に難しいだろう縦走を画策中、たぶん40日以上かかる?
7/26 BC9:00~大溝入口12:30~渡暇村14:00
朝から相変わらず微妙な天気。朝いきなり李慶サン曰く『食料ガ足リマセン』・・・
噂によると、某26歳がやたら食うのが原因らしい。しかし、言い訳させて頂けるなら
『出されたゴハン残さず食べなさい!』
って子供の頃言われませんでした?
名誉のため付け足すと、妹尾は出された物しか食べてません、決して盗み食いなど(笑)。
というワケで、李慶サンと妹尾で食糧補給のため王サンの民宿まで一度下山することに。
小雨の中、手足ともズブ濡れの中、ようやく大溝の入口に到着。ここから王サンの携帯に
連絡して車で迎えに来てもらうコトにするが、あいにく電波が届かない。しかたなく車道を
電波の届くところまで歩くことに。そして30分ほど歩くと・・・
(´_ゝ`) 『電波ガ入りマシタ、車呼べマス。』
(゚∀゚) 『電波キター!』
(´_ゝ`) 『トゥルルル、トゥルルル・・・』
(゚∀゚) 『?』
(´_ゝ`) 『向こうの携帯、電源切ってマス。』
(゚Д゚;) 『NOOOOOO!!! 』
仕方なく、雨の中二人とも雨の中無言で、観光バスの停留所まで1時間ほど歩く。
何とかバスで王サンの民宿へ到着。ミグルミ全部剥がされ(笑)、乾いた衣服に
着替えさせてもらう、本当に有難い。民宿で後発メンバーにメールで連絡しようとしたが、
なんと連絡先一覧がBCにしかないコトが判明。ヤバい、と思ったが天は我を捨てず。
和子サンの携帯が民宿にデポされており、その中から室屋サンの携帯アドレスのみが
判明。長々しい文を後発メンバー最年少の室屋サンの、しかも携帯にメールするという
荒業でなんとか窮地を脱する(笑)。
残念ながら、今日中に必要な食料が揃わないので今日のBC帰還は無理、民宿で一泊。
夕食後、調理場の一角の暖炉で王サン一家の団欒に混ぜてもらう。ほとんど言葉は
わからないが(李慶サンがたまに訳してくれる)、普段民宿のオーナーや女将さんとしての
笑顔しか見れない中、この時だけは”チベット人”としての表情、”親”としての表情、
”一人のヒト”としての彼らを垣間見た気がした。日本から遠く離れた標高4000m、そこでも
たくさんの人々が当たり前に、逞しく、温かく、人生を営んでいる。登山という媒体を
介したからこそこんな場面に巡り合えるのだろう。こんな雰囲気がとても心地いい。
7/27 渡暇村9:25~大溝入口9:45~BC13:30
夜に雨が降ったが、朝は何日かぶりに晴れ間が見えた。大溝のアプローチはこれで
2回目だが、やはりどこでも歩けるようでどこも歩きにくい。時々、踏跡が消えて
迷いながらなんとか昼過ぎBC到着。BCでは久しぶりの晴れで一斉にみんな
濡れた衣服を乾かす。折角食料を揚げたのに、今度はガスが不足気味・・・苦笑。
天候もようやく回復しつつあり、明日から5086峰へ再トライ。いよいよ決着の時は近い。
(中編へ続く。)