2013年1月14日(月)~2月6日(木) 24日間
メンバー:妹尾
2010年の中国・四川から2年半、ようやく海外登山に
再び戻ってくることが出来ました。
そもそも、このAconcagua登山は2009年冬(だったかな?)
にも一度計画したことがありましたが、その時は
まだ自分の実力に見合っていないと断念しました。
あれから4年、いろいろな成功・失敗(の方が多い苦笑)を
繰り返し、一時は山から遠ざかった時期もありましたが
いよいよ高所登山にシフトする第一歩として
この比較的標高が高い割りに難易度が低く、アプローチも
整備され、何より冬に登れるこの山へ挑めることとなりました。
※以下、表記時間は現地時間
14日(月) 7:50/8:35 富士急河口湖駅~11:40新宿BT~13:20/21:00成田空港
~18:00/23:45 Canada・Toronto Pearson国際空港~
15日(火) 11:35/13:00 Chile・Santiago Arturo Merino Benitez国際空港
~13:50Santiago市街地~14:00ホテル
出発前夜にもなって未だパッキングが終わらないのは
毎度のこととはいえ、成長してないですね。なんとか徹夜で準備を
終わらせる。しかしこんな日に限って河口湖はドカ雪?
当初は晴れでも徒歩20分ほどかかる駅に歩いていくつもりでしたが
職場の上司に送っていただき、事なきを得ました。アリガタヤアリガタヤ。
積雪10cm程で、まだまだ積もりそうで都心までの高速バスが
止まらないか心配でしたが多少の遅れで済みました。
新宿からは満杯の100Lザックを背負って成田まで移動、これは
海外登山のとき毎回そうですが、地味にキツイ(苦笑)。
この雪なら仕方ないですが、当然飛行機も4時間の遅れ!
搭乗手続きの時、受付のオネーサンに『トランジット(乗り継ぎ場所)で
一度、荷物を受け取って下さい』といわれる。トランジットで
荷物の受け取るなんて初めて聞いたがこの時は深く考えずにいたが、
もっとちゃんと確認しとけばヨカッタ。
そのトランジットは今回カナダ・トロント。
入国審査を済ませて荷物を受け取りに行くが待てども待てども
荷物なんて出でこない・・・かなり不安になる。
近くのスタッフのオッチャンに一緒に探してもらうも無いし、
最終的に航空会社スタッフに確認したら笑顔で
『オメーの荷物はここ(トロント)で受け取る必要は無いゼ!』
なんて言われ、一安心するが荷物をこの目で確認するまで
やっぱり不安でした・・・あの成田で言われたコトはなんだったのか。
チリ・サンチャゴに到着後、無事荷物を受け取りサンチャゴ中心部へ。
経費削減のため、タクシーではなく路線バスへ。空港周辺だからか、
英語が意外と通じた。降りる場所は毎回バス停を注意深く観察しないと
ならないので、気を使ったがなんとか無事到着。歩いて10分ほどの
ホテルに向かう。
ホテルに着くと片言だが英語が使えた。
部屋に案内されると、いかにもあわてて今始めました的に
ベッドメイキングの真っ最中・・・、仕事しろよオメーら苦笑。
部屋は若干暗いが、まあ個室だし文句は言えないか。
ちょっと散歩に行こうかと思ったが、なんだかんだで
疲れたようでそのまま夕食も食べず寝てしまいました。
16日(水) 7:30ホテル~16:30Los Heroes BT
~26:30 Argentina・Mendoza BT
本日は当初の予定なら長距離バスでチリ・サンチャゴから国境を
越えてアルゼンチン・メンドーサに向かうはず・・・だった。
朝、できるだけ早く出発したく早起きするが7:00を過ぎても
ホテルのスタッフが起きてこない。どうするか考えあぐねていると
ようやく起きてきた・・・と思ったらトイレに起きてきただけのよう。
しかしコチラも予定があるので、声をかけてチェックアウトしたいと
申し出ると、
(´・ω・`)『チェックアウト?俺まだ眠いんだけど・・・』
(゚Д゚) 『Japaneseの朝の早さ舐めんナ、さっさとしろい。』
とまあ強引にチェックアウトを済ませ、近くの長距離バスターミナルへ。
どの窓口かよくわからないのでとりあえず近くの窓口で
『メンドーサ?』と聞くと教えてくれた窓口はまだ開いてなかった…。
暫く待つとようやくスタッフが到着、ここらへん南米だな~と思う。
相手もスペイン語しかできず、苦労しつつもメンドーサ行きのバスを
頼むと、なんと夜行バスしかないことが判明!
地球の歩き方大先生はそんなこと一言も言ってないゼ!と慌てる。
暫く考え、こことは別に中心部にもっと大きいバスターミナルが
あるので、そこならもしかしたら昼行便があるかも…と急いで向かう、
無論徒歩で。中央バスターミナルは朝10:00前にもかかわらず大混雑。
暫く並んで窓口へ行くと対応した若いネーチャンはスペイン語のみ
らしく、しばらく押し問答の末、イギリス紳士風?の英語が話せる
オッチャンを連れてきた。そして改めてメンドーサ行のバスを尋ねる。
(´∀`) 『本日のメンドーサ行は完売ですヨ~』
(゚Д゚) 『状況が、あ・・悪化してるだ・・・と?』
地球の歩き方大先生はメンドーサ行バスが、そんな人気チケットだ
なんて一言も仰ってはいない。ヤバイぞこれは。
こういう場合は嘆いても仕方ないのでもう一度、さっきの
バスターミナルへ戻る、何度も言いますが徒歩で。
南米は夏真っ盛りなので暑い。しかも30kg以上の荷物背負ったまま。
息を切らし汗かきながら、ようやく辿り着いた窓口でさっきのオバチャンが
『あと1枚残ってるワよ~』と親指立ててくれたときはかなり
ホッとしましたよ、そりゃもう。オバチャンGJ!
その後、今日泊まる予定だったホテルにキャンセルの電話をしたりと
バタバタしたあと、夕方長距離バスに乗っていざ陸の国境越え。
バスの中は座席も広く快適。日付が変わるころに国境で入国審査のため
叩き起こされる。審査は空港と大して変わらない感じ。
午前2:30にメンドーサバスターミナルに到着。南米でこの時間に
バスターミナルに降ろされるのか?とかなり不安でしたが、ベンチで
寝てる旅行者も居るし、人も結構多く案外治安はいいのか?と少し安心。
まあそれでも寝ずに夜明けが来るのを待ちましたが。
1/17(木) 終日メンドーサ
本来なら昨日メンドーサ入りして、ノンビリ登山許可の取得や
食料・燃料の買出しなどして、今日は1日入山前の観光を
考えていたのに、今日1日でそれらの準備をしなければならず
あっちこっちを回ることになりました。
朝、バスターミナルからとりあえず今日泊まるホテルを目指す。
しかし、地図を見てもそれらしき建物がない。
しばらくウロウロして、仕方なくすれ違ったオネーチャンに尋ねると、
なんとそのオネーチャン、宿泊予定のホテルのスタッフでした。
ホテルは先ほどから何度も前を通過した建物でしたが、看板が
一切無い(苦笑)。番地のみでしか判別できネーヨ。
ただ、中は綺麗で、スタッフも半分ぐらいは英語可。
インターネットも無料でここは間違いなくアタリ。
荷物を置かせてもらい、市街へ繰り出す。
まずは登山許可証の取得。取得は市街中心部にある
Secretaria de Turisumo(観光局?)の2Fで行う。
覚悟はしていたが、やはり入山料は高い。ノーマルルートと
今回トライするPolish Glacierルート、さらに入山時期によって
値段が違う。残念ながら今回は一番高い値段を払わないと
いけないようです。円高で少し安くなってますが8万ぐらい?
それでもこの値段で7000m近い山に登れるのだから安いといえば
安いか・・・。ちなみにアプローチでムーラ(ロバ)を雇うと
少し安くなるようです。今回は妹尾1人なのであまり
変わらないかな?と雇いませんでしたが。
スタッフは英語も話せて、かなり親身に対応してくれました。
入山料を支払い、最後に誓約書を書く時は、いよいよ登るのか、
と少し緊張しました。
その後、市内を観光・・・というほどではないけどブラブラ歩きながら
燃料・食料の買出し。登山用品店は市内に幾つかあって、
先ほどの観光局で場所は教えてくれます。
食料の買出しはスーパーに行きましたが、
表記はすべてスペイン語なんで、ほぼ見た目と直感で購入(笑)。
今思えば、食料計画は相当ズサンで、この後素敵なダイエットに
成功するハメになりました。
夕食は入山前最後の晩餐とあって、南米に来てから初めて
まともな?夕食。といってもピザ(笑)。
しかし、量がハンパない。どうりでそこら辺を歩いている人たち、
特に中高年の方々は重量級が多いワケですよ。ピザ1枚を
苦労して腹に押し込み、ホテルで就寝。
1/18(金) 6:00Mendoza BT~10:00/10:30Punta de Vacas
~18:00La Rena
本日からいよいよBCまで、徒歩3日間・計36kmのキャラバン開始。
朝一のバスに乗って、一路登山口のプンタ・デ・バカスへ。
地球の歩き方大先生によると2時間ちょっと?ぐらいらしい・・・
が、結局4時間。今回の旅では先生もやや調子が悪いらしい。
2時間を過ぎていつ着くのかわからず、バスが停まるたびに
付近の看板を注意深く見ていたがいつの間にか寝てしまう。
しかし、運転手のオッチャンは親切にも、
わざわざバス2F(妹尾は2Fに座っていた)まであがってきて
(`・ω・´)『オメー、ここで降りるんじゃねえの?』
と声を掛けてくれた。南米のイメージってもう少し
怖い&だらしない感じだったけど、ゴメンナサイ。
バスが停まった場所(バス停とかはない)からは
ここが登山口?というぐらい何も表記は無い。
近くの検問所で聞いて、暫く歩くとレンジャーの常駐する
小屋がある。そこで許可証のチェックとゴミ袋2つを
渡されたら、いよいよキャラバン開始。
登山口は標高2000mを越えるが、季節は真夏で
直射日光全開、暑い。背負う荷物は燃料・食料も加わり
35kgぐらい?早速ムーラを使わなかったことを少し後悔するが
もう文字通り?後の祭りなので、黙々と歩く。
道は明瞭に谷の中を続くが、砂っぽく岩もあり
重い荷物と暑い気温では歩きやすいとは言い難い。
時々荷物を背負ったムーラの集団が通る。
途中、水が無くなりかけ、沢で生水を拝借。
ちょっと泥臭く、良い子の皆は真似しないように。
ヘロヘロになりながら夕方キャンプ地に到着。
レンジャー小屋で許可証のチェックのあとは
お茶だけ飲んで夕食も食べずに寝てしまった。
19日(土) 7:00La Rena~15:30Casa de Piedra
キャラバン2日目、朝からやや曇り気味。
今回参考にした報告書によると、今日は渡渉(橋の無い川を渡ること)が
あるとのこと。しかも出発してすぐということはまだ気温も上がらず
寒い渡渉になると気合を入れる。
渡渉ポイントを探しながら、行ったり来たりと暫く川沿いを
うろつくが、なんと暫く行くと立派な鉄製の橋があるではないですか。
まあ報告書は2005年のもの、8年もたてば橋ぐらいできるか。
ホッと安心して先を進む。途中、道がわかりづらく、
どうも正規の登山道を外れたようでしたが、谷沿いなので特に気にせず
ガンガン進むと暫くしてもとの登山道に復帰できました。
しかし、大陸の自然はスケールが違う。
あの丘まで1時間くらいかな?と思って歩くと2時間以上とかザラ。
日本と遠近感のズレがハンパないです。
午後過ぎから曇り空の時節、雨が降る。雨具を出すほどでは
ないにしても、いつ本降りになるかわからないので
先を急ぐ。
なんとか本降りにはならず本日のキャンプ地、
カサ・デ・ピエドラに到着。晴れであればキャンプ地付近から
アコンカグアが見えるはずなのですが一面曇り空、残念。
さっさと登山許可証のチェックを済ませ、
冷たい風が吹く中さっさとテントを張り就寝。
20日(日) 7:20Casa de Piedra~16:00Plaza Arzentina
いよいよキャラバン最終日。しかし朝から低い雲がドンヨリ苦笑。
今まで歩いてきた谷から東に進路を変え、支谷・Relinchos谷へ入る。
しかし、その手前で朝出発後数分で渡渉がある。
今回は橋はなし、300m以上ある幅広い河原で数回に分けて渡渉開始。
上流は氷河で当然水温は激冷。深い所はヒザぐらいまで浸かりながら
絶叫(笑)、冷たいというか痛い。とにかく痛い。
しかもサンダルを忘れたので裸足。もう罰ゲームね、これ。
谷は急峻で、足元も脆くちょっと緊張する。
こんな場所でも時々通過する荷物運びのムーラは安定して速い。
暫く歩くともう一度渡渉がある。靴も濡れて大変なのに
その直後の急登がキツイの何の。標高が3500mぐらいなのも
あり、しっかり意識して呼吸を深く行う。
急登を越えると、見晴らしの良い広い谷になる・・・はずが
やっぱりどんより曇り空。昼過ぎになるととうとう霙が降り出す。
雨具をつけてもとにかく寒い。重い荷物に濡れた体、いつ着くか
わからない中で歩くのは正直かなりつらかった。
夕方にようやくBCとなるプラザアルヘンティーナの旗が見えるが
そこから大きく迂回しなければならず、これもまた大変だった。
雨も止みかけたころにようやくBC到着。アコンカグアは相変わらず
雲の中で、ずいぶんシャイだねえ。
テントを張っているとレンジャーに声を掛けられ、
あとで許可証のチャックに小屋に来いとのこと。
ここまで3日間、あまり人に会わなかったが(せいぜい10人ぐらい?)
BCは予想以上に賑わっていて、テント40張、6~70人ぐらいは
居るんじゃないだろうか?という程。
日本出発から1週間、明日からようやく登山活動となる。
21日(月) 終日Plaza Arzentina
さあ、いよいよ今日から登山活動開始やで!
・・・と気合を入れるが夜からずっと雨。どうやら悪い天気の周期に
入ったよう。
午前中に医者のレンジャーによるメディカルチェック。
医者のパウロは丁寧に問診してくれる。お返しに
『吐き気・めまい・不眠』等の高度障害ででてくる
症状の日本語教えたった(笑)。
パウロ笑顔、ヒゲモジャのオッサンだが危うく萌えそうになった。
昼前になっても雨は上がらず、やむなく本日は休養日に決定。
休めるときに休むのも大事な登山のプロセスですね。
飛行機で貰った新聞を穴が開くほど読んだり、アックスを
1本1時間かけて研いだり昼寝したり。
日本を出発して1週間、はじめてゆっくりできた時間でした。
昼過ぎにプンタ・デ・バカスから抜きつ抜かれつ歩いてきた
アメリカ人女性の2人組の一人が挨拶に来た。
彼女たちはノーマルルートを登るよう。お互い健闘を誓う。
22日(火) 9:00Plaza Arzentina~13:30/15:00 C1
~16:30Plaza Arzentina
ようやく朝から快晴で、ここに来てはじめてBC周辺の景色が見渡せる。
本日はキャンプ1(以下、C1)へ高度順化を兼ねて荷揚げに向かう。
昨日の雨が夜に雪となり一面銀世界。
本来なら歩きにくい脆い砂斜面も雪で踏み固められ歩きやすい。
しかしBCで標高4200m、C1は5100mと、やはりこの標高では
荷物をいくらキャラバンの半分以下に抑えても
歩くスピードは極端に遅くなる。1歩歩くのに1呼吸、
急斜面では2呼吸という感じで、急がずあせらずゆっくり歩く。
昼過ぎにようやく到着。
少し頭痛がする意外は特に問題は無く、C1にアタック用の小テントを
設置してしばらく昼寝。C1も10張以上のテントがあり賑わう。
夕方、小テントと荷揚げした荷物をC1に置いてBCへ戻る。
念のため、入り口にはカギ。参考にした報告書にはBCなどで
『たまに盗難がある』とあったのでとりあえず、ね。
BCへの復路は下りで標高も下がるので早い早い。
23日(水) 8:45Plaza Arzentina~11:30/12:45 C1
~16:00 5700m地点~17:00 C1
今回、登山戦略としては、通常のBCに活動拠点を置くのではなく、
C1に拠点を置くことにしました。というわけで、本日はBCにある荷物を
すべてC1に上げることに。
昨日の荷揚げで少し体が慣れたのか、体もだいぶ楽。
C1まで、前日より1時間以上早く到着。まだ時間もあるので
がんばってC2(5900m)まで、昨日同様、荷揚げにむかう。
昨日からの好天で、多くの登山者が上部キャンプへ向かう。
そのほとんどがどうやらノーマルルートのようで、
C1から向かって左手のアコンカグアと右手のアメヒーノ山の中間部にある
コル(鞍部)までは、彼らとルートは一緒、体はある程度
高度になれたようですが、それでも歩くときは呼吸がつらい。
夕方からは天候が悪化、風も強く5900m地点のC2予定地には辿り着けず、
無理はできないので仕方なく、手前の5700m地点の適当な場所に
持ってきた荷物をデポ(残置)して引き返す。
復路を下山中、コルでネズミを発見。周囲にテントなどもないし
植物なんて生えているはずも無い。一体どうやって生きているのだろうか?
最先端の装備を備えていたって、所詮人間はサバイバル能力においては
ネズミにすら勝てないのだなあ、と思うと同時に彼らの逞しさに
ちょっと元気を分けてもらいました。写真を撮ろうと追い掛け回してスマン。
24日(木) 8:45 C1~13:00/13:45 C2~16:00 6050m地点~17:00 C2
まだ入山してから4日目ですが、体調に問題も無いので
いよいよサミットプッシュ(頂上アタック)に備えC2に向かう。
時間があればルートの核心となるポーランド氷河の偵察・試登もしたい。
荷物は前日にほとんど上げているので、5700m地点まではすぐに到着。
しかし、そこからC2までが長かったです。本来なら5700m地点から
右上にトラバース気味に登るのですが、他の登山者のトレース(踏み跡)も
無く、直登の方が早く着けそうだったので、まっすぐ行くとひどい
ラッセル苦笑。C2に到着後、アタック用テントを張り、正面に聳える
ポーランド氷河を観察する。
今回、ポーランド氷河を登ることは決めていたが、
このポーランド氷河にも、氷河の左端を登るラインのノーマルルートと、
右端を登るダイレクトルートの二つがあり、どちらを行くかは
決めていなかった。
勿論、技術的に1ランク上のダイレクトルートが魅力的だと
出発前から感じていたが、正直この目で実際に見るまでは
登れるかどうか確信が持てなかった。下から見る限りは
最大傾斜は50度くらいで上部に行くほど傾斜は強くなるようだ。
しばらく眺めダイレクトルートで行ける、と感じてきた。
そうと決まれば、その感覚を確信に変えるためにも
もう少し間近で見るため、試登・偵察に向かう。
出発してすぐに天気が悪くなるが、テントはすぐそこで
いつでも引き返せるのでもう少し進む。
ちょうど6000mを超えたあたりだろうか、
C2から少しあった頭痛が急に酷くなってきて吐き気も出てきた。
折りしも天候も悪くなってきて、少し焦る。
強風の中横殴りの吹雪で、歩きづらい。
C2まで引き返すが、視界も悪く、頭痛・吐き気も相まって
歩くスピードが全く上がらない。
すぐ戻れると思っていた距離が無限に遠く感じたが、
落ち着いて一歩一歩確実に歩きなんとかテントに
辿り着いた。
しかしテントの中に入っても猛烈な頭痛に加え、
強烈な風が一晩中テントを叩き一睡もできないまま
ビバーク同然の非常に辛い一夜となった。
25日(金) 10:00 C2~12:10 C1
全く眠れない一夜を耐え、嵐が少し収まった明け方に
少し眠れたらしい(気を失っていた?笑)
しかし目覚めと共にやはり猛烈な頭痛。
ここに居てもこの高度障害は収まらないというのは明らかなので、
急いで下山することにする。
ただ、何をするにも行動が極端に遅く出発準備に時間がかかる。
コルまでは正規のトラバースルートで戻るが、
前夜の嵐で雪が深く、かなり苦労した。
なんとかヘロヘロになりながらもC1に到着するが
相変わらず頭痛は治まらない。どうも高度障害+風邪の
合わせ技といったところだろうか?
昼過ぎから水分をたっぷりとってひたすら寝る。
夕方に少しマシになっただろうか。
とにかく、1回目のサミットプッシュは失敗に終わる。
これで残された日数はあと5日、日程的に
一気に厳しくなったが、明日は一日休養しなければ
ならない。焦りを抑えて、体力回復のために
日本から持ってきたアルファ米を食べる。
26日(土) 終日 C1
夜も頭痛が酷いが、水を飲むと少し楽になる。
水分摂取の不足もきっと原因なのだろう。
終日ノンビリ過ごす。
こういう時に限って天気は快晴。
明日からの2回目のサミットプッシュ2日間、
なんとか天気が持って欲しい。
暇なときに地球の歩き方大先生を読んでいると
どうしても食事・レストランの記事に目が行き、
下山後の食事に想いを馳せてしまう(笑)。
さあ、明日からいよいよ最後のチャンス。
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