日置 他一名
今回はK幡氏の受けたとある任務を遂行することが目的。タダで山に行けると大喜びし、更に室堂ギャルを悩殺するのだという密かな野望を抱きながら同行させてもらう。
4月16日
中央道を走っていると雨が雪に変わってきた。島島を過ぎると道路の上にも雪が積もりだしたが無謀運転でなんとか新穂高に到着。
4月17日
新穂高5時過ぎ出発―幕営地に昼前
今回はアプローチにスキーを使用。新穂高から暫くはもう溶けてしまっていたが、20分くらい歩いて雪が出てきたか。白出沢の便所にスキーを隠して西尾根に取付く。
今回は登攀装備が少なく、荷物もいつもよりは軽い。ものすごい勢いで高度を上げていき、昼前には2400のキャンプ地も通り過ぎて森林限界直下まで到達してしまった。
こんなに早く辿り着けるならもっと寝てればよかった、これからどうしようかなんて文句を言いながらテントを張る。寝床は当然最高の出来栄え。午前中は雲が出ていたが、午後になるとすっかり晴れてきたので、暫くはテントの外でお茶を飲んだりしながらだらだら過ごす。K幡さんは食にこだわりを見せよという任務も与えられていたらしく、夕食をどうしたものかと困っていたが、結局下から担ぎ上げることでこだわってみせたようである。
4月18日
幕営地を5時過ぎ―山頂はたぶん9時くらい―幕営地に昼前―新穂高に15時30分くらい
岩と雪の尾根を登っていく。蒲田富士は雪屁が大きく張り出しているため、右側をトラバースするように進んでいく。5センチくらい下に弱層があり、それがたまにずるりと滑るので怖い。天気はいいが稜線は爆風が吹き荒れてとにかく顔が痛い。やっと涸沢岳に到着してもういいじゃん下りようよと言いたかったが、任務はまだ終了していない。しぶしぶ奥穂まで歩き、凍りついた山頂で何の感動もなく証拠の写真だけ撮ってすぐに下山にかかる。途中蒲田富士の雪屁の上にトレースがあってびっくりしたが、近づいてみると兎の足跡だった。
二度目の涸沢岳西尾根だったが冬と春では様子が随分変わっていた。歩きやすくなっていたところも、歩きにくくなっているところもあった。ラッセルがなかったとは言ってもここまで早く行って帰ってこれるとは思わなかった。
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