1月10日 日置、松澤
十八切符でゴトンゴトン、のんびりと城山へ向う。
岩場は日当たりよく、今日もたくさんのクライマーで賑わっている。
午前中はバトルランナーに取り付いた。
核心のハング越えで若干戸惑うも、特に問題なく完登。
機嫌よく下りてきて昼飯を食べる。
昼飯を食べ終わり、さあ行くかとなったところで誰かが言った。
「糞がしたい」
この一言がこの後の新たな撤退伝説の始まりだったとは、この時まだ誰も気づいていなかった。
そこは大勢のクライマーが押し寄せる城山、最初から野という選択枝はなく、下りるまで我慢しなさいと冷たく扱われて終わってしまったのである。
さて、便意のことは忘れようと努力して岩登りを始める。
1ピッチ登り終わって2ピッチ目に取り付こうととした時、また誰かが言った。
「俺も糞がしたくなってきた」
とうとう非常事態でとなってしまった。
腹の中に爆弾を抱えているため、当然腹筋に力を入れるには非常な危険がともなう。
さらにルートは4ピッチ、登って下りてくるまで耐えることができるだろうか。
無理に登り続けると、たくさんのクライマーが蠢く頭上で自爆という事態もありえなくはない。
二人揃っての緊急事態にたちまち士気が下がってしまう。
進むべき方向について慎重に見当を重ねた結果、やはり人間としての尊厳を失いたくないという結論に達し、下山を決意したのであった。
まだ日も高く、ぽかぽか陽気の中荷物を片付けて山を下りるのはやはり惜しい気がした。
だが大仁駅の厠に駆け込んだ後、その排泄後の幸福感は何事にも代えがたい程にほどにすがすがしく、また明日からも人としての誇りを持って生きていけることに喜びを感じてしまったこともあり、結局いつものまあいいかで家に帰っていくのであった。
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