日置
9月23日
桐の木平キャンプ場11:00―稜線16:30―手白沢非難小屋18:00
川場温泉のバス停から一人で歩いていたら軽トラックが止まって乗せてくれた。県内の岳連の人達らしい。今度山でイベントがあるようでその準備に行くらしい。ありがたかった。
台風直後なので水量はかなり多い。だが今年はゴルジュばかり行っていたせいか特に不安は感じなかった。もともと大きな谷でもないし、濁っているわけでもないのでそのまま進む。
川場剣が峰沢からはほとんど源頭までナメが続く。川幅いっぱい水が流れてなかなか素敵なところだ。8メートル滝は軽く水を浴びつつ左から突破、難所と言うようなところもなく、一人でも緊張しない。少しずつ水が減って最後は笹薮に突入した。
水もちょろちょろになってきたころ、笹薮の中に何かを感じた。何だこのプレッシャーはと身構えていると、藪の中でがさごそ、石を落としながら現れたのは全身黒ずくめ、丸い耳のよちよち歩き。あんまりちっちゃくて可愛いので、森の熊さん登場と認識されるのに一秒くらいかかってしまった。とうとう日頃の特訓の成果を見せるときが来てしまったか。少し下がって身構えていたが、幸い小熊のほうが慌てて逃げて行き、その後ろにいたはずであるお母さん熊は姿を見せなかった。それでも暫く動けず、歩き出してからも笛鳴らしまくり。ああ、びっくりした。
激しい藪漕ぎ、稜線までがなかなか遠い。やっと登山道に出たときはいい時間になっていた。今日中の帰宅は無理だからのんびり下りればいいや、寝床は歩きながら考えよう。ちんたら歩いていると当然日がくれてくる。面倒だからぎりぎりまでライトを出そうとしない。いい加減見えなくなってきたぞ、そろそろ出そうかでリュックを開ける。開けながらふと思った。そういえば台風の時一瞬停電になって、リュックからライト出したな、あれその後どうしたっけ。いやあまさかそんなことが、と深く考えないようにして手を突っ込む。ライトが出てこない。暗いからだろうと袋ごと出してみる。出てこない。穴が開いていたので落っこちたのだろう、もう一度リュックの中を探す。出てこない。ライトが見つからないということはつまりライトがないということだ。ライトがないのなら見つければいいのだけど、見つからないのだからやっぱりライトはないのだ。どんなに楽観的に考えてみてもライトがないと言う事実は変わらなかった。道迷い、突然の嵐、どれも想定の範囲内だが、暗くなった山でライトがないはこれまで考えたことがなかった。歩けるうちは歩こうと、もうかなり暗いのに歩き出すと、暫くして手白沢非難小屋の看板を発見。暗い中見落としたとばかり思っていたのが突然現れた。ドラム缶型で快適とは言えなかったが迷わず逃げ込む。真っ暗で食事を作れるわけもなく、電話機の明かりで寝袋を敷くのがやっとだった。行動食を適当にかじって寝ることにした。
24日
手白沢非難小屋7:30―久保9:30
気がつくと小屋の扉から光がもれて明るくなっていた。ふらふら歩いて下山。とりあえず無事に家に帰ることが出来た。
森の熊さんも焦ったけれど、ライトがないのはもっと焦った。今回は完全に運に助けられたと思う。もし非難小屋がなかったらどうしていただろう。ぬかるんだ山道脇の泥んこビバークはものすごく嫌だった。あのまま無理やり歩いていたら、滑って怪我をしていたかもしれない。すぐに窮地に陥るわけではないが、決して小さなミスではない。このところのなめた態度の報いだろうか。やっぱもう少し真剣にやらないといけないかな。
日本昔話で、よく夜道を急いでとか夜の峠を越えてみたいなシーンが出てくるけれど、昔の人はどうやって夜道を歩いていたのだろう。 時代小説なんかに出てくるお武家様だと提灯持ったお供を連れていることが多いけど、昔話の主人公はだいたい樵や農民だから提灯なんか持っていなかったんじゃないかな。 もし明かり無しで山を歩ける方法があるなら是非身に着けたいものだ。 ポイントはなんだろう、やっぱ足裏感覚かな。いや、それよりも荷物はちゃんと確認して、そういう大事なものはおもちゃみたいのでいいからちっこいのを予備として入れっぱなしにしておいたほうが早そうだな。