9月13日、14日、15日 松さん、ノジ(記)
恋い焦がれ続けた、あこがれの双六谷を、とうとう遡行して参りました。
12日夜高尾駅発。双六ダム駐車場にて仮眠。
13日。5時40分くらいだったろうか、駐車場発、長い林道歩きからトロッコ軌道跡へ。まだ枕木やレールがところどころ残り往時をしのばせるのだが、こんなとこ、ほんとにトロッコが走れたの?と思うくらい危なっかしい、なかなかエクストリームなトロッコ軌道跡である(なお後日調べたところによると、これは電源開発工事のために建設された、金木戸森林鉄道と言われたトロッコの跡であるらしい。)。
歩きながら横に見える双六谷の水は、碧緑に澄みわたって美しい。水量は平水。9時ころ、目印となる「壊れた吊り橋」にたどり着き入渓。
どんどん巨石帯を遡行する、幅が広いので威圧感はないが結構なゴルジュだ、ショルダーにしたり、荷揚げをしたり、早くて冷たい流れをスクラムで渡渉したり、飛び石を伝ったり、どきどきである。水が冷たいので泳ぎは避けるようにしたが、それでも一か所、渡るためにどうしても泳がねばならない箇所がり、ここは松さんに泳いでいただき、ノジはアザラシの如くおなかにザックを抱えロープに引かれて対岸に渡る。
ゴルジュ帯を抜けきりセンズ谷に出会い、下抜戸に出て、双六本谷を詰めるという3人パーティに出会う。結局、沢であったのはこの人たちだけであった(実は、青い雨合羽を着た幽霊らしきものが私たちとこのパーティの間にいたようなのだが…。いや、ホントの話です。)。
ここから先は穏やかな河原を行く。ここで…先を行く松さんが「しっ!動かないで!!」と言って右岸を指す、見ると、黒光りする立派なお尻が、ごそごそ右岸を登っていくではないか。
熊である。少し前から、出来立ての熊の糞があることには気づいていたが、まさか親爺(北海道弁で熊(特にヒグマ。まあこいつは月の輪熊でしょうけれど)のこと)にここでお目にかかるとは思っていなかった。その後も、明白な熊の足跡をいくつか確認し、何とも言えない気分になる。余談だが幼いころノジの祖父は、いつまでも外で遊んでいる孫に対し「はやぐ帰らねば、おめ、熊でっど。」というのが口癖であった…。
ともかくなんとかかんとかして親爺をやり過ごし、遡行を続けると、第二のゴルジュ帯の入り口に到着。ちょうど良い砂場もあり水を取れる支沢もある、もう15時近かったのでここを幕営地とする。
そうと決まればまずは焚火の支度だ、幸い薪はたくさんある。さっそく薪を集め火をつけると…いや、燃える燃える、なんと気持ちよく燃えることか。冷えたからだもすぐに気持ちよくぬくまり、松さんとマッコリを飲んで就寝。
14日。朝も焚火をして体を暖め、6時ころ出発。すぐに、とんでもない淵にであう、危なっかしい、泳ぐか、へつるか、それでも落ちたらドボンである。ここは高巻くことにする。なかなか沢床に降りられそうにもなく一時は懸垂かと思ったが、あれやこれやするうちにルーファイに成功、懸垂なしに沢床に降りた。そして、松さんがおっしゃったとおり、結果としては、この高巻のスマートな成功、時間を食わず体をぬらさず体力を温存できたこと、が、この遡行の成否を決した。
その後もう一か所、少し深く水に入って、空身で巨石を突破する箇所が出てきた。ノジはここをリードしながら、これがもしかしてもしかすると、噂の難所キンチヂミではないかと思う、それにしては出現が早すぎる、どうなんだろと松さんと話しながら、しかし苦労せずに突破。
突破後すぐに大きな二俣。どうみてもこれが九郎右衛門の出合だ。とすると、やっぱりあれがキンチヂミだったのだ。そしてこれでゴルジュは終了。ここからは滝登りの始まりである。
F1は隣のルンゼから巻く。このルンゼのぼりがなかなか楽しい。ん?と思う箇所も数か所あったがロープを出すこともなく詰めきり、沢床に戻る。ここからはどんどん小滝を登っていく、いずれもロープはいらない程度の沢である。それでも滝登りは滝登りなので、徐々に指の皮が痛くなる、大ぶりの見事なキイチゴを食べながら歩くうちに、水量は徐々に減り、両脇の稜線は次第に低くなり、沢は源頭部の様相を呈し始め、やがて湿原となる。
ああ、あれほどあこがれ続けた、そしてこんなに楽しかった、沢がもう終わってしまう、終わってしまう、遡行完了だと思うと嬉しくて切ない。
13時15分、黒部五郎テンバ。松さんと装備を解きながら、ノジは本当に胸いっぱいでした。
当初の予定ではここで幕営だが、明日早く帰るためにも双六テンバまで歩く。三俣蓮華を超え、双六を巻く、この稜線歩きが結構つらい。鷲羽をはじめとする北アルプスの雄大な眺めが目を慰めてくれるが、それがなければ到底耐えられなかったろう。
特に双六の手前の小ピークを越え、ここからはもうのぼりはない、と分かった時点で、ノジはがくっと疲れました。濡れたロープが、沢靴が、肩に食い込んで、重くてたまらない、何度、松さんに、後生だからロープ持ってくださいませんかと頼もうと思ったろう。それでも、いや、それでは後輩の道が立たないと、なんとかかんとかがんばった。我ながら、この両肩に食い込むザックの重さによく耐えた。双六のテンバについた途端早速ビールを買って松さんと乾杯。
夕日に染まる鷲羽の、なんと美しい姿か、私はこれを一生忘れないだろう。
15日。テンバの朝は早い、3時くらいからがさごそと音が絶えない。私たちも4時には起床、5時20分には歩き始める。朝日を浴びる笠が岳、槍、奥穂を眺めながら、10時には新穂高に到着。車を回収して東京へ向かう。
きわめてトラディショナルなヤマトナデシコであるノジは温泉に浸かってさっぱりしたかったけれど、すでに小仏は20キロを超す渋滞である、ましてや、松さんの携帯電話から、「パパ、早く帰ってきて、晩御飯はしゃぶしゃぶにしよう♪」という可愛らしいお嬢様の声が聞こえた日には、温泉よりなによりも松さんを一刻も早くご家族のところにお返ししなくてはならない。というわけでまっすぐ帰りました。
総括。
なんというかいまだに感無量で(我ながら引きずってますが…だって本当に行きたかったから)、あの美しい水面が、白い花崗岩が、瞼をちらちらして離れません。長い長い川で、でもコースタイムより若干早いくらいのタイムで、スムーズに遡行できて、松さん、本当にありがとうございました。
そして、入会以来、ノジをご指導いただいた皆様、本当にありがとうございます。まつどに入らなければ、このあこがれの沢は最後まであこがれで終わっていたでしょう。皆様のご指導のおかげで、一つの夢の沢をこなすことができました。まだまだ行きたい沢はたくさんある。今後とも技術の向上を目指して頑張ります、ご指導どうぞよろしくお願いいたします。