2014年12月
れい(記)、たね
12月に行ったボリビア登山の記録です。長くなってしまいましたが失礼します。
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▶序章
曇り空の中、マイアミを出発したアメリカン・エアラインズの飛行機は、予定時刻通りにボリビアのエル・アルト空港に向けて着陸態勢に入った。その時、雲の隙間からこれまでに見たことのないような神々しい山々が街の周りにそびえ立っているのが目に入ってきた。初めて目にした6千メートルの峰々だった。これからボリビアの高峰に挑めることを嬉しく思いながらも、どちらかと言うと圧倒されて不安を感じた。「果たして登りきれるのだろうか。」
▶経緯
ボリビアの登山は、たねが計画していた毎年恒例の年末海外登山の話を聞いて、僕が興味を持ち、それに加えてもらうことで始まった。候補の山はたねによりすでにピックアップされており、ペルーの最高峰ワスカランか、ボリビアの最高峰サハマ(6542m)と霊峰イリマニ(6438m)だった。ペルーもボリビアも、年末年始は雨季にあたるため、あまり登山には適していないが、なかなか南米に行ける休みも取れないし、ボリビアでラ・パスを起点にすれば天気が良くなくても転身先の山は見つかりやすいだろう、最悪ダメならウユニ塩湖でも見に行こうということでボリビアに決まった。
たねは6千メートル峰の登山経験があったが、僕は標高4千メートルすら超えたことが無かった。果たして自分が高度に耐えうる体を持っているかは未知であったので、たねと合流する1週間前に標高3593mのラ・パスに入り、観光したりどこかでトレッキングしながら様子を見ることにした。
▶ラ・パスで情報収集
ラ・パスに入った当日、サガルナカ通りのツアー会社に行き、山へのアクセスや山の状況などの情報収集をすることにした。通りの外れにあるClimbing South Americaという会社に何気なく入ると、ちょうど欧米系のガイドがおり、山のことを尋ねるとコンピュータで写真を見せながらとても親切に教えてくれた。彼の話では経験があれば雨季であっても天気次第で山は登れるとのことで、サハマのある南の方は特に乾いている地域だから天気はいい傾向にあると、mountain-forecast.comの天気予報を見せながら説明してくれた。山の情報の他に、食糧はどこのスーパーマーケットで買えばいいなども教えてくれた。
▶高度順応
ラ・パスの街は標高が高い上に坂道だらけで、はじめはかなり息切れしながら歩いていたものの、数日後には慣れてきた。高度順応してきた実感がわいたので、サハマの近くにあるパリナコタ(6342m)に行ってみることにした。パリナコタはサハマ村の近くにある富士山そっくりの形をした山で、双子と呼ばれる隣のポメラペ(6282m)と並んで6千メートルを超える標高をもつ。登山はテクニカルな要素は必要なく、ほぼ歩くだけらしい。天気はしばらく良好のようなので問題なかったが、ベースキャンプまでのアクセスはどうしたらよいかよくわからず、とりあえずサハマ村まで行けばなんとかなるだろうと思い、向かうことにした。
▶サハマ村へ
サハマ村へ行くには、ラ・パスからパタカマヤへバスで行き、パタカマヤでサハマ行きのバン(ミニバス)に乗り換える。パタカマヤ行きというバスは運行していないので、ラ・パスのバスターミナルからオルーロ行きのバスチケットを買い、パタカマヤで降ろしてくれるようにお願いした。オルーロ行きのバスは30分に1本くらいは出ている上に、バス会社の人が「オルーロ、オルーロ」と連呼しながら客引きしているので、すぐに乗り込むことができた。僕は8時半頃のバスに乗ったのだが、このバスはラ・パスやエル・アルトのターミナルで客集めに異常なほど時間を使い、かなり出発を遅らされた。乗客はかなりイライラしてきたようで、子供から大人まで皆がドンドンと足踏みをしたり窓を叩いたりして、「バモース!(行こうよ!的な意味)」と叫びながら出発をせかした。結局、予定より1時間くらい遅れた11時前に、店が立ち並んで賑わった通りでバスが止まり、係の兄ちゃんがやってきてここがパタカマヤだよと教えてくれた。
サハマ行きのバンを探すためにパタカマヤの通りをうろつくと、ラ・パスに近い側にあるRESTAURANT CAPITOLというレストランの前に「SAJAMA」と書かれたバンが停まっているのを見つけた。運転手らしきおじさんに乗りたい旨を告げると、ザックをバンの上に積んでくれ、13時に出発する旨を告げられた。僕以外の乗客は皆現地の人たちで、出発するまでパタカマヤの売店で買い出しをしていた。僕は他に全く観光客が居ない上、1人だけ登山の格好をしていることにかなりアウェイな気分を感じていたが、観光客だからといって特に絡まれることもなく、のんびり過ごした。12時くらいにはデンマーク人の若い男女が乗り込んできて、仲良くなり少し安心した。サハマの景色と温泉を求めて来たらしい。バンは予定通り13時に出発した。
写真:サハマ行きのバン
▶サハマ村
パタカマヤからサハマ村に向けての道中、周りを見渡しても何も見当たらないところでバンを降りていく人がポツポツとおり、中には降りてから家まで1時間ほど歩くと言っていた人もいた。3時間のドライブの後、バンはサハマ村に到着した。観光客の僕ら3人は、サハマ国立公園のエントランスオフィスらしき小さな家でレジストレーションをするように言われ、中に入るとおばあさんが1人いた。ノートに名前やパスポート情報を記入し、入園料を支払った。地図はないかと聞くと、これしかないと極めてシンプルな図が書かれたサハマの案内パンフレットみたいなものを1つだけくれた。
全員の手続きがおわると、おばあさんがドミトリーのような部屋に案内してくれた。宿やレストランはちらほらあったが、オフシーズンのためほほとんどが閉まっている様子だった。宿に荷物をおろした後は周りをうろついてリャマやアルパカの写真を撮ったり、売店で軽食を買ったりしたあと、まだ明るかったので、3人で標高4500mくらいのビューポイント(Mirador Monticielo)に行き、サハマと記念撮影をした。戻ってきた僕らは、夕食を求めて閉まっているレストランの扉を叩き、何か作ってくれるようお願いした。夕食を待っている間トランプをしていると、停電になって明かりが消えてしまい、その日はロウソクの下でスープとパスタを食べた。その日は電気が復活することはなかった。
次の日の朝、宿のおじさんにお願いしてフラミンゴのいる湖(Laguna Huanakota)まで車で送ってもらい、約15キロメートルの道のりを3人で1日かけてのんびり歩いて戻ってきた。途中に天然の温泉があり、サハマを眺めながらの入浴は最高に気持ち良かった。戻ってから、明日パリナコタに行きたいのでベースキャンプへ送ってもらえないかとエントランスのおばあさんに聞いてみると、予想外の高額な価格を言い渡された。交渉できるほどスペイン語も話すことはできないし、おばあさんも交渉する気は無さそうだった。どうするべきか迷った挙句、1人で近場のトレッキングに行くことにした。
写真:パリナコタとポメラペ(左)、Laguna Huanakota(中)、温泉とサハマ(右)
▶湖へのトレッキング
観光パンフレットによると、サハマ村の西側には間欠泉(Geysers)と3つの湖(Laguna Khasiri, Laguna Sorapata, Laguna Chiar Khota)があり、それらを周遊してこれるらしい。標高は約5千メートル。一体どんな景色が待っているのだろうと楽しみになった。チリのアリカに向かうデンマーク人の2人と別れ、僕は1人で西に向かった。
これから向かう場所は、事前にロクな地図を手に入れられなかったので、頼りになる資料は事前にスクリーンショットしておいたGoogle Earthの衛星画像と例のパンフレットだけだった。また、案内板などは皆無な上に、明瞭なトレイルが続いているわけではなかったので、周辺の山や目的地の位置関係を探りながらなんとなく歩くことにした。村の東側にはサハマがそびえているので、迷った時はサハマを目指して歩けば村に帰りつける。
3時間ほど歩くと、第一の目的地である間欠泉にたどり着いた。ここには駐車場があり、西欧人のおじさんが2人、バンの中でランチをとっていた。少し話をしたところ、その人らも湖(Lag. Khasiri 4820m)に向かうらしく、「湖までは1時間だ。ランチを摂ったら行くよ。また後でな!」とさわやかに言ってくれた。パンフレットにある概略図を見る限り、もっとかかるんじゃないかと思ったが、案の定、1時間歩いても湖には着かず3時間かかった。ボリビアとチリの国境を示す標識の向こうに湖が広がっていた。休んでいると雪が降ってきたために、岩陰に隠れてしばらく横になった。
半時間もすると雪はやみ、まだ十分明るかった(日没は19時半ころ)ので、欲張って次の湖(Lag. Sorapata 4900m)に向かった。湖に沿って車の通ったきれいな跡があったため、疑うことなくそれに従って行ったのだが、これはチリからの道で、目的地とは違う方向に向かう道だった。僕がこれに気づいたのは1時間ほど歩いた後に辿り着いた湖が予想と違う形をしていたことと、離れるはずのポメラペ山がやたら近付いてきたためだった。衛星画像の湖の形を確認したところ、間違ってチリにある別の湖に来ていることを確信できた。この頃また雪が降り始めたのだが、すぐにやむだろうと白くなってゆく道を踏みしめながら元きた道をまた1時間かけて戻った。湖に戻ったのは19時で、その頃にはまた太陽が出ていた。オレンジ色の西日の中テントを張り、美しい景色とのどかな雰囲気を独り占めした。残念ながら、夕食に作ったインスタントラーメンは、麺が粉っぽく単調なスープの味が苦痛であまり楽しめなかった。この日結局、昼のおじさん組に会うことはなかった。
翌朝は早朝に起床して、インスタントスープを作った。これまた期待はずれの味で、今度は喉を通らなかった。村で食べたおいしくもまずくもなかったパスタがとても恋しくなった。今日は村に帰ってパスタを食べようと決意し、衛星画像とコンパスを使って次の湖のある確実な方角に向けて出発した。トレイルなのかどうなのかよくわからない道をたどり、約2時間でLag. Sorapata(4900m)に辿り着いた。湖は、前日に降った雪をまとった山の麓に広がり、黄緑の植生に囲われてた。ほとりでしばし休憩したのち、最後の湖Lag. Chair Khota(4960m)に向かった。この時点ですでに標高5千メートル前後をうろうろしていたせいか、ゆるい斜面でも登りになると辛く、幾度となく1人で叫び声をあげながら歩いてなんとか前進した。体を鞭ちながら約2時間ほど歩くと目的地に到着した。湖は植生に縁取られ、周りの赤茶色の山を穏やかに映し出していた。
下山の道は、相変わらず衛星画像とコンパスを頼りに、谷を延々と歩いていくことにした。トレイルらしき道に出合うこともあったが、どれだけ歩けば山を出られるのかは未知だった。出口の見えないトンネルを行く思いでまだかまだかと歩いていると、サハマが姿を表した。またこの日も昼過ぎに天気が崩れ始め、雨が降りはじめ、近くで雷が鳴っていた。サハマが見えてからもかなりの時間を歩いたように感じたが、雨に打たれながらもなんとか昼過ぎに山を下りることができた。これでもう迷うこと無く村に帰り着くことはできる。現在の位置を確認しようと周りの風景をなぞってみると、2日前にデンマーク人の2人と共に行ったフラミンゴの湖(Lag. Huanakota)がほど遠くないところに見えてうんざりするような気持ちになった。これは、村に戻るためにはここからまだ半日歩かなければならないことを意味していたからだった。それでも帰ったらレストランでパスタが食べられると自分を励まし、道を歩き始めた。初日は写真ばかりとっていたリャマ達には目もくれず、彼らの間を通り抜けて、足を棒にしてトレッキングポールに助けられながらなんとか19時に村に辿り着いた。宿に荷物をおろし、早速パスタを求めてレストランに向かい、扉を叩いたが、数件叩いてまわっても誰も出てきてくれなかった。唯一、売店を開けてくれるところがあり、チョコレート類を買いあさって次々と口に放り込み、コーラで流し込んだ。この日は極度に疲れていたのにベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。
写真:間欠泉と3つの湖
▶ラ・パスに戻る
たねに合流するために翌日ラ・パスに戻ることにした。宿からバンの乗り場まで歩いて1分。朝5時発と言われていたので15分前に宿を出ようとすると、宿のおじさんに早くいけ!とせかされた。なぜそんな急がせるのだろうと思いながら一応乗り場に走って行くと、ほぼ満員になったバンが今にも出発しそうな様子だった。なんとか乗り込み、帰路につくことができた。この日は、何処かの村で降ろされたので、そこで一度乗り換えてからパタカマヤに戻った。パタカマヤからはラ・パス行きのバンに乗ると、エル・アルトの街で降ろされ、ここから別のバンに乗ってラ・パスに昼過ぎに戻ってきた。なんとも乗り換えの多い日だった。
▶再びサハマへ
たねと合流したのち、天気を見ながらどの山をから登るかについて議論した。最高峰のサハマを登る前に、少し標高の低いイリマニを登っておきたかったが、どうもイリマニ周辺は雪が降るらしいので、天気の安定しているサハマに行くことにした。
サハマ村へは前回と同様の道のりで辿り着き、前回と同じ宿に泊めてもらった。たねは前に僕がデンマーク人とともに登ったビューポイントに行き、高所順応に精を出した。
写真:サハマへ向かう
▶サハマ登山1日目(12/23)
翌日、青空の下僕らはサハマ登山を開始した。できることなら1日で5700mのハイキャンプに行こうかと考えていたが、たねの高度順応があまり思わしくないようで、村から4時半ほど歩いたベースキャンプでテントを張った。たねは「自分のせいで登頂できないなんてことがあってはならない!」と男気のあることを言い、休息に専念した。ガイドブックには、ベースキャンプには大きな木があり、水場もあってトイレもあると書かれていたが、水場しか見つけることができなかった。
写真:夕日に染まるサハマ(ベースキャンプより)
▶サハマ登山2日目(12/24)
ベースキャンプを出発し、ハイキャンプに向かった。この日も空は青かった。サハマの北西稜まではわかりやすいトレイルがあり、それに従った。30分に一度休息を確実に取り、パリナコタやポメラペを眺めながらのんびり歩いた。北西稜に乗ってからもトレイルはあったものの、極めてひどいガレ場で登りづらく、3歩上がって2歩下がるを繰り返しながら目的地を目指した。崩れる岩の隙間にストックを刺し込んで体を上げ、粘り強く登り続けた。大きなピナクル群を2つ超えたところに、幕営の跡をたくさん見つけた。行程的には普通のトレッキングだったが、2人ともかなり疲労困憊した。1日でハイキャンプを目指さなかったのは間違いなく正解だった。テントを張ったあと、重たい体を起こして水を求めた。水は雪や氷から取れると聞いていたが、ハイキャンプの周りにはほとんど雪は無く、10分ほど登った山の斜面に残っている氷をピッケルで削って収集した。テントに戻って虫と砂がたくさん混じった水を作り、夕食を作った。夕食は前のトレッキングで食べたのとは違うインスタントラーメンにしたが、相変わらず美味しくなかった。仮眠をとり、山頂アタックに備えた。
写真:ベースキャンプからハイキャンプへの道のり
▶サハマ登山3日目(12/25)
12時頃に起床し、朝食を摂った。1時半頃テントを出て無風の中、ゆっくり登り始めた。前にインターネットで調べたある記録では、1時間経たないうちに雪が出てきてアイゼンを付けることになり、そののちにペニテンテスとの戦いが始まったと書かれていたが、2時間ほど登っても雪は出てこず、落石まみれのガレガレの岩場になったためにアイゼンとピッケルを使って登ることになった。こんなシビレれる登りあったっけ?と戸惑いながらヘッドランプの明かりを頼りに、登れそうな斜面を選んで少しずつ高度を上げていくと、両側の切れ落ちた稜線に上がり、目の前の暗がりにうっすらと雪をかぶったドームのようなサハマが姿を表した。足元にはペニテンテスの残骸のようなものがあった。季節が夏のせいなのか、僕らはペニテンテスと戦う代わりに落石まみれのガレ場と戦ったのだった。
稜線でテルモスのスポーツドリンクを飲んで休息し、頂上に向けて登高を開始した。どこからでも登れそうだったが、微妙に傾斜が違った。山頂に向けて直登するか、少しトラバースして傾斜のゆるい部分を登るかの選択肢があったので、相談して後者にした。雪は表面にクラストした硬い層があり、足を置くとその層が壊れ、下の柔らかい層に足が潜り込む。この繰り返しだった。2人で先頭を変わりがなら無言でひたすらラッセルしたが、山頂は思っているより半分のスピードでしか近付いて来てくれなかった。途中から、おなかに石ころでも入れられたかのような違和感を感じ始めた。そのあと間もなく、その石ころを吐き出したい気分を覚えると同時に体が宙に浮いているような感覚になり、頭がボケーっとしてきた。この6千メートルの空気にどこまで耐えられるのだろうと不安になった。上に行くほど斜面は緩やかになってゆき、ピッケルをしまいストックにした。山頂付近は雲に覆われているようで、高度が上がるほど景色が見づらくなくなってきた。あそこが山頂かなと思っていたところまで登るとそこからまだ斜面が続いているというのを何度か繰り返し、吐き気が限界になってきたころ、ついに傾斜が無くなった。声を出すのも面倒だったが、「山頂についたんじゃないか?」とたねに言うと、彼はGPSの高度計を確認して、「まだ100メートル登るらしい」と言って同じペースで前進を続けた。高度に苦しんでいたことを全く感じさせず登り続ける彼の気力に関心しつつ、ここから100メートルもの登りに耐えられそうにない自分の身体の声を感じ取った。たねについていきながら僕はもう無理だと言おうとした頃、たねは前進を止めた。周りは雲に覆われてよく見えなかったが、ここからまだ登れそうなところがなかったからだった。僕らは手分けして残りの僅かな気力で歩いて回ったが、もう今より高いところはなかった。GPSの高度計がずれていたらしく、僕らは雲の中の6542mのサハマの山頂に到着していたのだった。(サハマの頂上はとても広く、頂上でサッカーの試合が開催されたこともあるほどだった。これは高度を理由にラ・パスでの国際試合を開催しないことにしたFIFAの決定に抗議する目的で、「いくら標高が高くてもサッカーはできるのだ!」とサハマの村人とボリビアの山岳ガイドが行ったものだったらしい。)さて、頂上でたねと握手を交わして登頂を喜んだものの、とにかく早く下りたいと思った。登山前に山頂ではどんなポーズをして記念撮影をしようなどと話していたのだが、ポーズ以前に記念撮影すらできず、下山をはじめた。
下山は自分達がつけたトレースに黙々と従った。自分の高山病の症状を軽減すべく早めに下っていると、たねが遅れ始めた。僕はスノーラインのすぐ下の稜線まで先にたどり着いたので、腰を下ろしてたねを待つことにした。睡眠不足と疲労のせいかあまりにも眠く、そこで待っている間30分から1時間くらい寝てしまったと思う。目を覚ましてもたねはまだ上の方で歩いたり止まったりを繰り返していた。合流したのちに聞いてみると、”もどし”ていたらしい。しばらくそこで休息し、例のガレガレの岩場を下り始めた。ボルトがあったので懸垂下降を考えたが、落石とロープの引っ掛かりが怖かったので歩いて下ることにした。この頃、昼になって気温が上がって来たせいで、雪や氷が溶けて周りでは落石がたくさん起こっていたのでヒヤヒヤした。ハイキャンプに帰り着いたと同時に僕らはテントの中に倒れこんだ。15分後、僅かに余力があった僕はなんとか起き上がり、日が暮れる前にはと思い、ひとりで氷を取りに出かけた。周りは夕日に赤く染まっていたが、景色も楽しむことなくガリガリと氷を削る単調な作業に集中した。テントに再度戻ったあとはすぐ寝てしまった。僕らは夜に一度目を覚まし、また虫と砂の混じった水を作ってパスタを食べ、日が出るまでの長い眠りについた。
写真:サハマ上部(左)、頂上目指して歩く(中)、サハマ頂上(右)
写真:サハマ頂上下からの長め(左)、ペニテンテスの残骸(右)
▶サハマ登山4日目(12/26)
サハマを後にする日になった。今日はハイキャンプから村に帰ってゆっくり休むことができる。僕らはゆっくりと朝食を摂り、下山を開始した。僕はこの日の行程を、下山だけだからもう昨日のような辛いことは無いだろうと楽観的に見ていた。しかしそれは間違いだった。ガレガレの道は下山でも厄介だった。崩れる岩に足元をすくわれながらの下りが続き、僕らの体力と気力を奪っていった。ケルンに導かれてどんどん標高を下げていくと、2日目に北西稜に上がったポイントをすっかり通り越し、ずっと下まで降りてきてしまっていた。登り返して明瞭なトレイルを辿るか、今いるところからそのまま下るかを迷ったが、地形的に問題無さそうだったので、そのまま下ってしばらく下でトレイルに合流することにした。緩やかな地形だったものの、少しでも無駄な登り返しは避けたかったのでアップダウンのないできるだけ楽な道をとることにした。ルートファインディングに気をとられながら下山している間、空は雲に覆われ始め、村の方からは雷の音が響くようになっていた。しばらく歩いたのちにやっとトレイルに合流したが、そのころには本格的な雨が僕らを叩きつけ、雷も近くで鳴るようになっていた。これまでの経験上、午後の悪天候は一時的ですぐに回復するものだったが、今回は違うかった。疲れた状態で雨と雷の下歩くのは不愉快だったが、何も考えないようにして谷筋を村に向かって歩き続けた。山を抜けて出てから村への道は、歩きやすい土の車道だったものの、村があまりにも遠く思えた。前の湖トレッキングで体験した辛さを再体験していた。もはや車が通ったらヒッチハイクしようかと思っていたが、車が来ることはなかった。無言で歩き続けてやっとの思いで村に帰り着き、宿にむけて一目散に歩いていると、フランス人の若いカップルに出くわした。宿を探しているとのことだった。僕はあまり話す元気もなかったので、とりあえずついて来るよう促し、僕らの宿へと導いた。部屋に入るとたねは「こんなボロボロになったのは久々だ」と言い、ベッドに倒れ込んだ。僕はとにかく何かあったかいものが食べたいと思い、前回のリベンジをすべく、ひとりでレストランの扉を叩いた。今回はおじさんが出てきてくれた。僕が何か食べたいというとおじさんは少し考えた後、スープなら20分後にできると言って準備にとりかかった。薄味の温かいスープパスタが出てきたのは1時間後だった。僕は2皿分のスープパスタを食べてお腹を満たし、宿に戻った。
▶ラ・パスに戻る(12/27)
目を覚ますと4時45分だった。たねを起こし、急いで準備をした。外に出ると、前回と同様に宿のおじさんが早くいけ!とせかしてきた。とりあえず1人でバンの乗り場に走って行くと誰もおらず、バンは遥か向こうの国立公園の入り口あたりにいた。走って行くと、運転手のお兄さんに「早く乗れ!」と言われたが、「もう1人いるからちょっと待って」と話すと、「もう満員だから君しか乗れない」と人の溢れそうなバンを指さして告げられた。別に今日帰らなければならないということはなかったが、サハマ村にいても特にやることはなく、何よりしばらく美味しいといえる食べ物を食べておらず、早く帰ってチキンとかが食べたかった。「でもアミーゴが1人いるんだよ!」とずっと言っていると、キツキツのバンをさらに詰めてくれたらしく、2人乗れることになった。「早くアミーゴを連れて来い!」と言われたのでたねを呼びに走っていこうとすると、たねがやってきたので急いでバンに乗り込んだ。詰めてくれたのは前日のフランス人カップルだった。「昨日は助けられたよ、ありがとう」と言ってくれた。彼らはサハマの周りを1周しており、雨の中村に辿り着いたら誰も出てきてくれず困っていたとのことだった。雑談をしているとクリスマスの話になり、「僕らはある小さな村にいてクリスマスを祝ったよ。君たちは何をしていたの?」と聞かれたので、そんなもイベントもあったなぁと思いながら「サハマに登っていた。というかクリスマスなんか忘れていたよ。」と答えると2人に笑われた。
パタカマヤとエル・アルトでバンを次々と乗り換えて昼過ぎにラ・パスに戻った。シャワーを浴びた後、昼食は念願のチキンを食べに行き、夕食はピザを食べて登頂を祝った。
▶その後
1,2日休んでから、イリマニかワイナポトシあたりを登ろうかと話していたが、天気予報を見てもあまりいい傾向にはなかった。相談した結果、登山はあまり良さそうではないので、ボリビアなんかなかなか来れないからということで観光することにした。僕らはウユニ塩湖を見に行き、その後チチカカ湖にあるコパカバーナに行った。コパカバーナで僕はマチュ・ピチュに行くためたねと別れた。
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●謝辞
日本は年末年始の天気が悪く、山行が思うようにできない中でしたが、僕らの登山を暖かく見守って頂きましてありがとうございました。高所登山のアドバイスや情報をくれた先輩方にも重ねて感謝を申し上げます。
●その他情報
・ボリビアで登山する場合、値段は高いですがアクセスはタクシーを使うと快適にできます。例えば今回僕らが行ったラ・パスーサハマは、バスやバンで行けば片道で1000円程度。タクシーならその10倍以上はかかるようです。
・食糧などはIllampu通り沿いから少し通りに入ったところに大きなスーパーマーケットが2つあります。詳しい場所は現地で聞けばすぐわかると思われます。ただ、現地で購入する食糧はあまり美味しい保証はありません。フリーズドライなどは手に入りそうになかったので、食糧は日本から持って行き、行動食は現地で購入するというのが良いかもしれません。行動食はチョコレートやエネルギーバーのようなものは手に入りますが、ウィダーインゼリー的なものはどこにもありませんでした。
・ガスはIllampu通りに登山ショップがたくさんあるので、そこで購入可能です。ガスの値段は日本で買う2,3倍くらいはします。標高が高いためライターやマッチがないと火はつきません。
・ラ・パスで登山の地図を買いたい場合は、VIAJES RUTAS&RECUERDOSというツアー会社のオフィスにあります。場所はIllampu通りからAroma通りに入ったところです。
・ラ・パスでクライミングしたい場合、El Muro Climbing Centerというジムが、とあるホテルの中にあります。とても小さなボルダジムですが、ルーフも登れて楽しめます。僕らが行った頃はホールド替え直後だったらしく、課題は1つもありませんでした。なお、ホールドは古くてよく動きます…。外岩ならQuimsa Cruzというところが有名ですが、雨季は条件が悪いらしく、乾季しか登れなさそうでした。パリナコタ山の近くにもスポートクライミングのできるところがあるらしいですが、詳しい情報はわかりません。Quimsa CruzのトポはEl Muro Climbing Centerにありました。ジムで何度か登りましたが、標高が高いせいなのか、すぐにパンプしました。
・登山には関係ありませんが、ボリビアからペルーに行く等、陸路で国境超えをする際はそれぞれのイミグレーションオフィスで出国審査・入国審査を確実に行いましょう。例えば入国スタンプがないと出国時に突っ込まれて罰金を支払う羽目になります。