野島(記) 4月25日、26日。 4時半に八王子発。7時半に沢渡着、タクシーを拾い、8時に上高地着。歩き始める。 まだ人通りは全くない。すれ違ったのは単独のおじさんと二人組の男性のみ。おじさんは「奥穂高に行きたかったけど、雪が腐っていて上がるのが大変だった、体力消耗し、北穂に変更した。」という。私が、できれば奥穂から北穂に縦走したいんです、でも怖くて今から緊張してます、というと、おじさんは「そうか、緊張するくらいの方がいい、無理するな」と言ってくれた。二人組の男性の方は「ラッセルが大変で、涸沢まで行くのでさえ大変だった、北穂に行きたかったが、あきらめた」と、女一人で奥穂に行くなんてとんでもないという口ぶり。 う~ん。そんなに大変なのかいな。まあ、行ってみないと分からんし、まだあきらめるには早い…と思いながら歩く。横尾を過ぎ、本谷橋を過ぎても別に大したラッセルはない。あっさり涸沢に着く、14時。小屋開け前でもあり、テントは二張しかない。 さっさとテントを張る。すると上から4人組が下りてくる。どこに行ったのか、と尋ねるが、韓国の方らしく話が通じない。やっと一人の女性が英語を話せたので尋ねてみると奥穂に行ったそうで、とてもとても大変だった、あなたはソロで行くのか、経験は豊富なのか、危険だから気を付けるようにと気遣ってくれる。私は、いや経験は全然豊富じゃないよなあ、と心の中で唸りながら、ルートをちょっとだけ下見した。 ともかく、雪が腐ってくると面倒だ。明日は早く起きようと考えて寝る。しかし、奥穂北穂間縦走が気になってなかなか眠れない。
翌朝、朝2時半起床。テントを張りっぱなしにしておくのが少し不安だったので、テントを畳み、撤収の準備を整えてデポ、3時半出発。暗い。何がなんだかよく分からん。へっでんつけて、昨日下見したルートを一目散にのぼる。5時ちょっと前に日の出。5時半に穂高山荘。少し休んでから奥穂高に向けて出発。 最初から岩だ、鎖は出ていない。ダブルアックスでのそのそと登る。もっとおっかないかと思っていたけれど、大したことはない、すぐ岩場を抜け、気持ちの良い稜線に出る。多少のアップダウンを繰り返し、奥穂高山頂の小さな祠が目の前に現れた時には思わず声が出た。ああ、あれが奥穂高山頂だ、長い間憧れてきた白い穂高だ。どんなに行きたかったことか。それが今、目の前にある。…また少し岩場が現れるが、これも大したことはない、びびることなくこなせる。穂高山荘出発から1時間後、山頂に着いた。 感動した。思わず涙ぐんじゃいました。そしたら涙がメガネと頬にこびりついてえらいことになった。 さて、問題はここからですよ。北穂まで行けるかどうか。ともかくまず気を付けて穂高山荘まで下る。ロープは出さず、バックステップで慎重に降りる。で、涸沢岳まで行って、北穂奥穂間を覗き込む。トレースはない。 岩と雪の急峻な尾根が、長く長く続いている。先日の白馬主稜より長く見えるくらいだ…。大丈夫だろうか。今回は白馬の時とは違う。白馬のとき、そばにいてくれた、慎重で頼もしい入江隊長も、力強いかっきーも、のぼりのうまいにーみさんも、安心感のあるまっすーもいない。私一人だ。…とりあえず歩き始める。しかししばらく行くと、よりはっきりと、急峻な岩場が、アップダウンが見えてくる。これを単独で行くとすると、ものすごく時間がかかるだろう。今回は、何があっても今日中に横尾まで降りなくてはならない事情がある。止めよう。引き返し始める。 退却を決意してから涸沢岳までの登り返しは、時間にしてみれば20分もなかったのだろうけれど、とても長く感じた。 やはりがっかりした。行きたかった。行けなかったのが悔しかった。穂高山荘から下り始めると、すぐそばのように、北穂が見えた。北穂は青空に包まれて、優しく微笑んでいるようにさえ見えた。無理しなくてもい。もっと経験をつけて、自信がついてからまた来ればいい。北穂はそう言ってくれているように見えた。そうだ、そうしよう。もっと経験をつんでから、また来よう。来年は、絶対に来よう・・・。 シリセードを交えつつあっという間に涸沢に下る。デポしておいた荷物をザックに詰め込み、横尾に下る。横尾から上高地バスターミナルまでが地獄のように長く感じた。 まあ、長い間憧れだった、積雪期の奥穂の山頂を踏めたから、良いといえばよかった。満足すべきといわれればそれは確かにそうかもしれない。でも、でも。やっぱり、奥穂北穂をつなぎたかった。来年は絶対にやってみたい。あと一年間、私はどれだけ強くなれるだろうか。そのために、できる限りのことをしてみたいと思います。
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