3月10日 日置、梅澤
それは年末年始の穂高でのことだった。稜線では低体温症になる、どうでもいい雪壁の下降で滑落する、テントの中では顔の前でチャックを開けられただけで悲鳴をあげる等等、我々自身の弱さのために散々な目にあってしまった。これでいいのか、もっと強くならなければと誓い合ったのが始まりだった。
どんな劣悪な環境でも必ず行きぬく生命力、そうだ、僕らはあのザリガニのようになりたいのだ。幸い3人とも赤いヤッケでビジュアル的にはザリガニクライマーとしての条件を満たしていた。ザリガニ魂を注入するためのAKBを舞いながら、チームザリガニが結成された瞬間だった。
身も心も真っ赤に染め上げて少しでもザリガニに近づきたい。ヤッケを脱いでも心は赤い。脱皮したってやっぱり赤いのだ。泥の中で眠り、泥の中で喜びを見つけたい。汚染された水にも決して負けない。染色体は少しでも多く備えておきたい。当然赤いオーバーヤッケさえ着ていれば誰でもザリ友と認めてしまう心の広さも忘れてはいけない。
そして今回、12月、2月と成功を収めている阿弥陀岳は北西稜なら登れるだろうと、ザリガニ達は出動したのだった。
10日朝、昨夜から降り続けている雪がまだやんでいないと気がついたのは七時くらいだったろうか。梅澤ザリガニは車のドアを半分開けただけで心が折れた。日置ザリガニも八ヶ岳山荘のトイレまでが精一杯だった。清里のスキー場に行って、眠い眠いとぶつくさいいながらスキーをして何とか一日過ごして帰ってきた。
結局山には登れなかった、果たして僕らはザリガニに近づけているのだろうか。
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