5月26~28日
日置、他二名
5月26日
今回は台湾の友人を二人連れての山行、車で移動しロープエー駅で寝る。
5月27日
一ノ倉沢出合6:00―南稜テラス8:00―南稜登攀―南稜テラス13:30―一ノ倉沢出合15:30
5時に起床、天気は晴れ。車で一の倉沢へ向かう。マチガ沢が見えたところでさっそく歓声があがり、一の倉沢につくころにはもう嬉しくてたまらない。
雪渓はテールリッジまでしっかり続いている。念のために用意したピッケルとアイゼンも必要なく車においてきた。テールリッジ末端でもう岩靴に履き替えてしまう。南稜の登攀よりもアプローチのほうを心配していたが、二人とも危なげなく登っている。山登りは暫くやっていないとは言っても、かつては200人からいた淡江大学登山社の中核を担っていただけはある。
南稜テラスに到着。平日なのに結構人がいる。南稜に3パーティ、中央カンテに1パーティ、我々は一番最後に南稜に取り付いた。二人ともフリーはそれなりに登っているし、マルチピッチの経験もあるので特に心配していなかったが、カラビナもハンガーボルトにしかかけたことがない彼らにとって谷川のハーケンは相当衝撃的だったようだった。登る前に絶対に落ちるなと何度も言われた意味がよくわかったと言っていた。面白いのでとりあえずボルト、ハーケンの年代をだいたい以下のように説明しておいた。
ハンガーボルト:改革開放以後に打たれたもの
錆無リングボルト:解放後に打たれたもの
錆付リングボルト:民国時代に打たれたもの
曲がったボルト、錆付ハーケン:清朝時代に打たれたもの
現在では見慣れない形状のハーケン:明朝時代に打たれたもの
曲がったり欠けてしまっているハーケン:宋朝時代にうたれたもの
*解放後など言っている辺り、大陸化しやがってと早速批判された。
怖いといいながらも二人ともしっかり登ってくる。せっかくなので4ピッチ目からはリードしてもらうことにした。登り方は安定しているが、やはりルートファンティングがもう一息か、若干正規のルートからずれることがあった。それでも問題なく終了点に到着し、懸垂下降で南稜テラスに戻る。登り始めてから4時間強、途中で写真を撮ったりと結構のんびり登っていたからまあこんなものか。
午後になると少しガスが出てきた。中央稜末端までのトラバースで怖いからロープを出してくれと言われる。そこへ中央カンテを登ったパーティであろう、おじさんクライマー二人が下りてきて運動靴でスタスタ歩いていく。日本のおじさんはすげえなと驚愕していた。
テールリッジから先は問題なく出合に到着。これを登っただけでもはるばる日本まで来た甲斐があったと大変満足したようであった。
5月28日
マチガ沢の東南稜を登る予定であったが、もう疲れてしまったし、南稜で十分満足したので、西黒尾根からトマの耳に登り、天神尾根からロープエーで下山する。残念ながら山頂はガスの中で展望は全くなかったが、五月でも残雪が多く残る谷川岳を満喫した。考えてみれば谷川岳の1500メートルの植生は台湾の3000メートルとほとんど同じ、一般道を歩くだけでも十分楽しめたようだ。
以前から日本のアルパインクライミングの話はしていた。その度行きてえ行きてえを連発していたが、今回とうとう谷川岳に連れて行くことになった。谷川岳の遭難者数に驚き、古いハーケンにうろたえながらも、これが日本のアルパインクライミングか、日本人の度胸はすげえなと、台湾では味わえない山登りを楽しんでいた。下りてから早速台湾でも同じように登れる壁はないかと話している辺り、彼らもやっぱり我々と同類である。
五月の雪渓歩きだけでも台湾人にとっては十分刺激的なもの。台湾では氷雪技術が不足している、東京からこんな近いところにこんな山があるなら、雪訓のために日本に来てもいいんじゃないかなんて話しもあった。
一人で二人の人間をアルパインルートに連れて行くのは、いくら南稜でも正直疲れた。でもこれだけ喜んでもらえ、あれもやりたいこれもやりたいと言われると、やっぱりまた来てほしいものである。二人とも台湾でフリークライミングばかりやっているのではもったいない存在だ、もっといろいろな山登りを味わってもらいたい。
いいねぇ。年代別。
投稿情報: 管理人-鶴多郎 | 2009/06/02 10:24