2008年5月1日(木)~6日(月) L.日置一孝
5月1日
上海―成都―茂県
始発飛行機で成都へ、昼ごろ到着。すぐに燃料調達に出かける。前もって売ってそうな店を三軒ばかり調べておいたのに、一軒目は潰れている、二軒目は跡形もない、三軒目は売ってない、やばいじゃん、全滅じゃん。三軒目の老板にガスどっかで売ってないですかと聞いたら知ねーよだって、がーん。でもちょっと向こうのほう行ってみろと言う、おお、もう一軒あった、おお、売ってんじゃん、やった、助かった。人民中路で入手。
黒水までのバスはなかったけれど、茂県まではまだいっぱいあった。五時間くらいだったか、今日は茂県に宿を取る。
5月2日
茂県―黒水―車道終点12:40―八家寨21:00
昼ごろ黒水到着。タクシーに行ける所まで行ってくれと言う。六十元もとりやがったけれど、車で行かれるいっぱいのところまで行ってくれた。
さあ、山登り開始。車道終点が沢の二股、右股だなっと言って入る。雪融け水でかかなり増水しいる、渡渉しながら踏み跡をたどるが藪がうるさく歩きにくい。八家寨の人はだいぶ山を下りてしまったようだけど、もう人は住んでいないのかな、まあいいや、とにかく進む。
何時間歩いたか、一時間くらいで到着すると言ったのにぜんぜん到着しない、それよりこんな道もう誰も歩いてない廃道だろう、こりゃ間違えたなと思うも、上から沢に下りてくる道もあるはず、それを見つけられれば大丈夫だろうとそのまま進む。
突然前方に動く影。むう、何やつ、毛むくじゃらの獣が出現。おお、でかいぞ、熊かと思ったらヤクだった。五、六頭はいる、立派な角をつけていてなかなか手ごわそうだ。さて、ピッケルは背中にくくりつけている、こんなこともあろうかとたらたら続けているテコンドーキックはあるが若干梃子摺りそうだ。しかしむこうも勝ち目がないことはわかっているようだ、びびってやがる、すんなりと道をゆづってくれた。
前に進むがやっぱり歩きにくい。もういや、八家寨は左岸にあるはず、右の斜面を登っていけば正しい道にたどり着くはずだ。二十キロの荷物と片手には冬用登山靴をぶら下げて、泥と藪の斜面を強引に登る。激しい藪、獣道をたどるが進まない。雨も降ってきてやる気がなくなった、もういいや、一度出合いまで戻って正しい道を歩いたほうが早いだろう。
もと来た道を引き返す。左岸にわりとはっきりした踏み痕を見つけた。おかげで速い。途中ヤクのしゃれこうべを発見、お土産に持って帰ろうかとも思ったが、ここはどこ私は誰な自分の状態からお土産なんか持って歩く余裕はなかった。諦める。
はるか西の四川省でも時間は北京時間、八時くらいまで明るい。さすがに暗くはなってきたが、なんとか日が暮れる前に出合いに戻れそう。そろそろかなと思っていると、対岸でチベット人の一段が丸太を担いで歩いているではないか。早速八家寨はどこだいと聞いてみる。あっちだよと指された先はなんだよ、左股じゃん。よく地図を見るとどうやら昼に乗った車は自分が思っていたよりも奥まで入ってきてくれていたようだ。道は明瞭、暗くても大丈夫、一時間くらいでつくそうなのでそのまま歩き続ける。
なんだか急に疲れてしまった、一日めなのに張り切りすぎたか。しかしこの間違いは痛かった、本当なら余裕で大本営までたどり着けたのに。
また雨が降ってきた。歩いては休み、歩いては休みで二時間くらい歩いたか、突然目の前に謎の門が出現、他に道はないので開けて中に進むと石の家が数件、どうやら八家寨についたようだ。ああ疲れた、雨の中でテントを貼りたくない、どこか雨の当たらないところ、そうだ、家の軒下にでも張らせてもらおうか。
門に高山向導協作隊と書かれている家があった。よしここの人なら登山者に優しくしてくれるだろう、誰かいますかと叫んでみた。チベット人のおばさん登場、あらまあどうしたの、入りなさい入りなさいと軒下にテントと言う前に家の中に入れられてしまった。
石の三階建て、これがチベット建築だ、どうだまいったかといわれなくても、いやまいりましたと降参しますと言ってしまいそうほどチベットな家、何とか文化財に指定されてしまいそう。窓が小さく薄暗い、部屋の真ん中にかまどがあって暖かかった。だめだ、今日はもうここから出られん。すいません、今夜一晩泊めてもらえないですか、ああ、言ってしまったよ。でもおじさんとおばさんは、いいよ、適当なところで寝たらいい言ってくれる。成都にいるという息子さんの部屋に泊めてくれた。
息子さんは山岳ガイド、四川省だけでなくチベット、新疆なんかの山も登っているらしい。部屋にはたくさん山の写真が飾ってあった。またなぜか子供用三輪車がある。この山奥でいったいどうやってこいつを乗りこなすのか、持ち主は凄腕のライダーにちがいない。
5月3日
八家寨7:00―大本営12:40―湿原16:00―大本営18:00
昨夜は暗くてわからなかったけれど、八家寨は見晴らしよくてなかなか気持ちのいいところにある。いらないと言われたけれど気持ちだからと言って20元渡す。本当はもうちょっと渡したかったのだけれど小銭がなかった。
大本営まで三時間、体力があるならその日に奥太娜を往復できるといわれた。張り切って出発、でも昨日の疲れがまだ残っていてパワーが出ない、肩も痛い、ぜんぜん進まない。休み休み歩いて昼過ぎにやっと到着、五時間以上かかってんじゃん。
大本営には簡単な丸太小屋がいくつかある。標高は三千五百あるらしい。誰もいなかった。とりあえず屋根のあるところにいらない荷物を置き、山頂を目指して出発。やっと軽くなった。軽くなったはずなのにすぐ息切れがして苦しい。そうか、これは高山病というやつだったのか。仕方ないので休み休み進む。
鞍部に到着、湿原になっている。道は鞍部に到着する前に右岸に渡り、急斜面を登っていくはず、なぜそのまま鞍部に出てしまうか、地図を見てもなんかおかしい、地形が合わない。標高は四千五百あるはずなのに見た感じ四千もなさそう。変だ変だと言ってもういい時間、どうせこんな酸欠じゃいくらも歩けない、今日はもう戻るとしよう。
大本営に戻る。夕方になれば誰か来るかなと思っていたれど、やっぱり誰も来ない。テントを張って寝る。
5月4日
大本営6:40―最高到達点12:30―大本営16:00―八家寨21:30―車道終点22:30―黒水25:30
登頂できるだろうか、昨日の感触では難しそう。飛行機は六日、明日は茂県か汶川までは戻らなければならないから今日中に黒水か八家寨までは下りなければならないのだ。どこまで行けるのか、自信なく出発。
上の方雪が降ったようで、道がだいぶ隠れてしまっている。湿原までは昨日歩いているので大丈夫だった。昨日に比べてだいぶ順応しているようで息切れはない、歩く速度もそこそこ。湿原は雪で真っ白、ここですっかり道が消えてしまった。さあ、どの方向に進んだらいいか、正しいのかどうかは知らないけれど、踏み跡らしきものをたどってみる。するとどうだろう、鞍部だと思っていたところがまだ谷の中だった。どおりで地図とあわないわけだ。湿原のところが段になっていて、下から見ると鞍部に見えたのだ。そうか、まだ谷は続いていたのか、それではもっと奥に進もう。藪を掻き分け、巨岩を乗り越え、道どころか踏み痕もすっかり消えてしまったけれどとにかく前進。でも一生懸命頑張っているのになかなか進まない。
まずいな、このままではとても頂上までたどり着けない、いや、今日はまた下山のパワーも残しておかなければならないのだ。やっぱ頂上は無理か、なら仕方ない、とにかく上を目指そう、少しでも高いところに登ってやろうと適当な斜面に取り付く。
ガレの斜面をずるずる登っていく。下から見たよりも急だ。登りは良くても帰りがちょっと心配。でも上を目指す。振り返ると谷の上部は三段になっていて、一番上の段には池があった。その奥にはこんどこそ間違いないであろう、白い鞍部が見える。変わった地形だ、氷河の痕なのだろう、ソ連の地図で見ると普通の谷になっていて、圏谷にもなっていないし段にもなっていない。おそらく地図が間違っていたのであろう。
登れるところまでと頑張る、たぶん四千メートルくらいまで登っただろう。でも今見えている所まで登ってもまた次が見えてくるにちがいない、時計を見るともう十二時を過ぎている。ここまでか、引き際かな、畜生と叫んで諦める。いや、本当に悔しい、奥太基は登れなくても、奥太娜は楽勝と確信して出てきていただけにどうしても悔しい。
帰りは藪と巨岩帯を避け、直接湿原に戻れるように下る。結構急でアイゼンが必要かなとも思ったけれど、結局そのまま下りてしまった。湿原まで下りるとなんだか急に疲れてしまった。また頭が痛くなってきた。しばらく休憩。この先大本営までもふらふら、パワーが出ない。
ようやく大本営に到着。もう動けない、これから下山なんてできるのか、雨も降ってきた、とりあえずテントの中で休もう。水がうまい、横になろう、食い物を出したけれど食べる気力がない、それを腹の上に置いたまま暫く寝た。
目が覚めた。頭痛は治まった。少し口に入れる。お湯を沸かしてスープを飲むとずいぶん復活した。よし、雨もやんだ、今日は下りよう。荷物をまとめて出発。予想以上に元気になっていた。荷物は重いけれどちゃんと歩ける。
八家寨まで三時間くらいだった、そこそこのペースだったと思う。そういえば八家寨のおじさんは大本営まで三時間くらいと言っていたな、恐るべしチベット人、これと同じ速さで登るのか。近代装備に身を包んでも中身は所詮都会のサラリーマン、やっぱ違いますな。
もう暗くなってしまった。空は晴れて久しぶりに星を見た気がする。上海の汚い空では星なんか見えないですから。
車道に到着。やれやれ、やっと人間の世界に戻ったかと思ったら、おお、犬がいっぱいじゃん。吠えているよおぉ、追いかけてくるよぉ、怖いよおぉ、助けてくれよぉ、全然人間の世界じゃないじゃん、牛はその辺でたくさん寝そべってるし。
ああ怖かった、だいぶ接近されたけれど、襲いかかってくる度胸はなかったようだ。もう黒水まで下りてしまおう、何時間かかるか知らないけれど、かかっただけ歩いてやろう。
歩くこと三時間、やっと黒水に到着。街には誰もいない。適当なホテルに入る。値段を聞くと190元くらいだったか、100元で泊めろと言ってもだめだと言われてしまった。このど田舎でそんな高いわけあるかい、いるかと外に出たら、わかったよ、100元でいいよと追いかけてきた。100元でも十分高いんだけどな。でも高いだけあって部屋はそこそこ綺麗だった。携帯電話がやっとつながってメールを見ると、四日に下山予定と言っていたせいか、下山連絡先を頼んでいた友人がかなり心配していたらしい、五日が予備日だから五日に下りるかもと言ったじゃん。でも心配してもらって文句は言えないか。
5月6日
黒水―成都
成都行き始発バスに乗れた。良かった良かった。成都の友人の世話になる。四川料理が辛い。でも久しぶりのご馳走、美味いぜ、美味いぜ、下痢覚悟で食べまくる。
5月7日
成都―上海
夕方の飛行機なので時間がある。パンダを見に行く。朝早く行ったのでパンダさん木に登ったり、ブランコに乗ったりサービス満点、すっかり虜になってしまった。何でも1500元で子パンダを抱っこできるらしい。あんまり高いのでさすがにそれはパス。でも台湾人のおじさんが抱っこしているのを見てしまった。
夜遅くに帰宅、疲れた。でも翌日からは通常通り出勤、サラリーマンは辛い。
山から下りて一週間後、四川省で地震がありました。震源地は汶川で、その町をちょうどバスで通り過ぎておりました。成都から山道をうねうね四時間ばかり走ってようやくたどり着く山奥です。道はほとんど崩壊していることでしょう、車が通れるようにするだけでいったい何週間かかるのか、今でも救助活動を続けているようですがやっぱり難航しています。
私が行った時あのあたり平和そのものでした。夜は皆さん広場で踊っておりました。バスも音楽をかけて軽快に走っておりました。あそこで出会った人たちは今いったいどうしているのか、雨の中突然現れた日本人をいやな顔ひとつせず泊めてくれた八家寨のおじさんとおばさんは大丈夫だったか、無事を祈るばかりです。