9月28日(日)~10月5日(日) L.日置一孝
9月28日 上海―昆明
朝一の飛行機で昆明へ。いつものように到着後すぐバスの切符と燃料を探しに行く。橋頭までのバスはすでに売り切れ、中甸行きの夜行バスの切符を買って途中下車することにする。
9月29日 橋頭―哈吧村14:00―作業小屋18:30
未明に橋頭到着。明るくなってから哈吧村行きの車を探すがなかなか見つからない。何でもここ二、三日は定期便も通っていないらしい。不安になるが虎跳峡の入口で車を待つ。すると、四人組の車が通過、どこに行くか、哈吧雪山だ、乗せてくれ、オーケー。車代は飯をおごれば良いと言ってくれる。ヒッチハイク成功、やった。
昼過ぎには哈吧村到着。哈吧村で一泊するか迷うが、どうせやることは無いのでそのまま登山を開始する。四人には飯をおごることができなかった。
ソ連の10万地図見て大体の予想をつけて道を進む。途中会う人にこっちでしょ、一本道でしょと確認しながら進む。森の中を一人ひたすら歩くのは疲れる。雨も降ったりやんだり。やはり大本営にはたどり着けず、途中見つけた作業小屋に勝手にもぐりこんで一夜を明かすことにした。
9月30日 作業小屋7:30―草原14:30―大本営18:30
明るくなってからたらたらと起きる。
道は踏まれているがたくさん交差していてわかり難い。突然道が無くなる、戻って他の道を探す。どちらに進んでいいかわからなかったらリュックを置いて先を見に行く。迷いながら進むため時間がかかる。とりあえずコンパスの方向に道は進んでいる。
突然森が明るくなった。原生林の中の苔むした湿地帯。すばらしくきれいなところだが、そこでまた道がなくなってしまった。さてどうしたものかとうろうろしていると後ろから突然人が現れた。地元の人だけれど中国語がほとんど通じず、残念ながら道のことを聞いても良くわからなかった。
また戻ったりなんだりで時間を浪費するが、なんとかそれらしい道をみつけてたどって行くと、突然森林限界を越えて大きな草原が現れた。高山植物の小さな花がたくさん咲いている。ちょっと早いけれどあんまりきれいなので今日はここに泊まるとする。
しかし大本営はいったいどこか、ここも作業小屋の残骸がいくつかあるが、テントを張った跡が無い、また中国の登山道でゴミが無いのはありえないのに今までゴミらしいゴミはほとんど見なかった。でもここまで来てしまったのでこのまま登山を続けるしかないか。
テントを張ってから明日の登路を探しに付近を歩いてみる。小さな峠の上に立つと、そこから見えたのは色とりどりのテント、なんと大本営を発見してしまった。中国にもこんなに山に登る人がいたのか。しかし後ろはすばらしい大草原なのにこっちはどうも汚くていけない、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされているのが上からでもよくわかる。
テントを張った所から大本営まで三十分程度なのでちょっと迷ったが、情報がほしいしこの後も便利と思うので大本営にテントを移すことにする。どこに張ろうかうろうろしていたら昆明のパーティーの大テントに連れ込まれてしまった。またしても晩飯をご馳走になってしまった。せっかく入れてもらったが、皆雲南語で話しているのでまるで会話に入れない。適当なところで失礼して消灯。
10月1日 大本営8:00―雪壁下12:00―山頂14:20―大本営17:30
昨夜は大雨。朝になって雨はやんだが外は真っ白、出発したパーティーもあるようだが暫くテントで待機とする。今度こそ五千の山に登るのだと張り切っていたのにまたこれで終わりか、ふてくされながらそれでも準備だけはしておこうと荷物をいじっていると、おお、雲の隙間から青空が。飛び出すように出発。
傾斜のゆるいスラブをひたすら登っていく。だだっ広いので道があるのかどうかよくわからないが、途中ケルンもいくつかあるし、踏み後も一応はある。まあ登りやすいところを登っていけばそこが道である。
頂上周辺のみ雪がかぶっており、人がたくさん列をなしているのがわかる。見えているのになかなか近づかないのは富士山と同じ。また登るにつれて酸欠になり息が上がる。
雪が出てくるあたりまでくると登頂して下りて来た人たちが列をなしていた。何でこんな遅い時間に登ってくるのか、一人でガイドもなしで登れるか、上は風が強い、止めておけ、すれ違う人皆こればっかり。でも厳冬の北アルプスにでもいくかのような格好、中にはこんなところでどうやって使用するのか聞きたくなるようなアックスを持っている人もいる。しっかりアイゼンをつけ、おぼつかない足取りでたらたら下りてくるのがほとんど。尻セードを知らないのか。ピッケルだけ出してアイゼンなしで歩いていたらアイゼンつけなきゃだめだと怒られてしまったし。
時間がないのはわかっているさ。でも登る登らないは自分で決める、ガイドを雇わなかったのは全て自分で判断したかったから、それで登れなかったら仕方ない。
しかし地元のガイドからも午後になると天気が崩れるから止めたほうがいいと言われた。確かに前日も前々日も午後から天気が悪くなった、この日ももうガスってきていたし。でも視界が悪くてもこれだけ足跡がついている、風が強いといっても自分が強いと感じるほどの風が吹いていたら今下りてきているこの人たちはたぶん立っていることができないだろう。雪が降ってこない限り大丈夫、二時、いや三時までは登り続けよう。
しつこく忠告してくれる人たちに没事没事と言いながら登り続ける。もう山頂はすぐなのに酸欠で死にそうな金魚のよう。最後の人とすれ違って独りになった。数歩歩いては立ち止まる。気合を入れてまた歩き出す。風なんか吹いていなかった、でももう時間が無い、ビバーク装備は持ってきたけれど、この不安定な天気でツエルトはいやだ、やっぱりだめか、いや、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ歩こう。
一瞬だけ霧が薄くなった。目の前に雪のこぶが見え、その向こうには何も無かった。頂上だ。ついたーと一人歓声を上げて駆け上がり、5396メートルに倒れこむ。息が苦しい、当然だけれど真っ白で景色は何も見えなかった。
ピッケルとリュックを置いて証拠の写真を取り、すぐに下山。雪のあるところは尻で滑れるから速い。雪がなくなってももうこれ以上酸欠になることは無いから速い。登りの半分以下のスピードで下ることができた。
さっきすれ違ったガイド達が声をかけてきた。登頂できたか、そうかやったな、おめでとうと皆喜んでくれた。嬉しかった。
10月3日 大本営8:00―哈吧村12:30
ゆっくり起きて下山を開始。登りとはまったく別の道。本来沢の右岸を歩くはずが、左岸を歩いてしまったのだった。途中何度も道を尋ねたのに、誰も間違っているとは言ってくれなかった。確かに大本営にはたどり着けたけど、でもなあ。
昼過ぎには哈吧村についてしまったのでもう麗江まで戻ってしまいたい。せめて橋頭までと思ったが車が来ない。仕方ないので哈吧村に泊まることにした。例の四人に飯をおごりたかったが、もう車もなくなっていた。ちゃんと登れたのだろうか。
10月4日 哈吧村―橋頭―麗江
乗り合いタクシーで橋頭、乗り換えて麗江まで。麗江で宿を探すが、国慶節価格でどこも通常の二倍。260元のホテルに入ったらお湯が出ない。聞くと7時まで出ないと言う、100元の宿なら許せるが260元これは我慢ならん、いるかと言って出てきてしまった。結局古城の中で200元の宿に宿泊。
夕方町から玉龍雪山が見えた。哈吧雪山よりずっと立派、主峰は確か未踏だったと思う。何でこんな綺麗な山にあんな巨大ロープエーなんか作ってしまうのか、神聖なお山になんてことを、絶対に間違っている。
10月5日 麗江―上海
強風で飛行機が二時間半遅れる。経由地の昆明で今度は積載オーバーとかで飛行機を乗り換えさせられる。空席あるのに何でだよ、わけわからん。当然他の乗客も切れまくり。
飛行機を降りてリュックを受け取ると肩のベルトが半分切れている。もともと切れかかっていたのだけれど、なんか止めを刺されたような気がして気に入らなかったのでクレームに行く。50元弁償してくれた。
今回は一人でも登れる五千メートル峰として哈吧雪山を選んだ。普段どこかに面白そうな沢はないかと三千くらいの山ばかり探していたが、やっぱり高い山にも興味があるのだ。五月に三奥雪山で失敗していたこともあり、酸欠にあえぎながら登頂したときは確かに嬉しかった。しかし、5396メートルに登頂はしたが、この5396という数字にいったいどれだけの価値があるか、いやこの5396以外に何か収穫はあったのだろうか。あれだけたくさんの人が登っていて、ただその後ろについていく、こんなのは断じて俺の山登りではない、こんなことをするためにわざわざここに来たわけではないのだ。そう思えてならない。
初めて行った沢、初めて行った雪山、どれもわくわくして楽しかったが、初めての五千は冒険性がまるでなかった。この二年間中国で登った山のどれと比べても刺激が不足していたし、発見もなかったのである。
入山二日目に森の中で出会った地元の人間に翌日も会った。お前みたいなやつは俺らからするとおっかなくていけないよと言われた。そう言われても仕方ないと思う。大本営までは馬に荷物を載せる、頂上へはガイドについて登っていく、誰でも登れる五千メートル峰、ここはそういう山なのだ。一人でやってきて好き勝手歩き回るような奴はいないのだ。
今回アプローチで虎跳峡を通過した。この大渓谷は99年に歩いたことがあるが、当時の道は崩壊箇所も多く、通過には徒歩で丸一日必要だった。現在は大部分舗装されており、車で二時間かからずに通過できてしまう。変わったものだ。所々滝が垂れているが、どれも落ち口はどこからか知れないような連瀑となっている。いつか自分もこんなおっかない滝に取り付かなければいけないのかなと、見ているだけなのになぜか恐ろしくなってしまう。
世界は広い、わけのわからんおっかないところはいくらでもあるのだ。どこも登りつくされたなんて言っている奴はそれを探さないだけ、登りに行こうとしていないだけだ。
どうせ誰に自慢するわけでもない、高さなんかどうでもいい、今まで誰も入らなかった謎の山のわけのわからんルート、地元の人もよくわからん、ガイドなんかもちろんいない、そんな山を目指していきたい。