2007年2月17日(土)~21日(日) 隊長:日置(記)
2月17日
上海―北京―蔚県
始発飛行機で北京へ。北京は思ったよりも暖かい。燃料も無事調達でき、六里橋のバスターミナルに向かう。
この日の午後から春節休みに入っているようで、普段にぎやかなバスターミナルももうがらがら。蔚県行きのバスももうなくなっていた。どうも下花園、琢鹿と行けばなんとか蔚県までたどり着けると言う。バスターミナルに蔚県人の女の子がいて、やっぱり家に帰れなくて困っていた。途中タクシーになるかもしれないからということで旅は道連れ、一緒に行くことする。張家口行きの最終バスに乗り込んだ。
下花園でバスを降りたが、その先のバスはもうとっくになくなっていた。琢鹿までタクシー、琢鹿からもタクシーしかないのだが、蔚県までと言うとまたまたとんでもない値段を吹っかけてくる。おまけに猛烈な河北訛りで何を言っているかさっぱりわからない。ここはやっぱり河北人に任せるべきと、例の女の子に全部任せることにした。結局ここのタクシーは使わず、蔚県から車で迎えに来てもらうことになった。道端で待つこと二時間、家族総出で迎えが登場、「お前どこから来たんだ」と聞くから、日本からだよと言ったら、「ふうん、お前の家は日本か」と言っていたけどまるで信じていない様子。もういいや、仕事は上海で月収千四百元、適当に答えることにした。
この日は蔚県の旅館に泊まる。爆竹花火の集中砲火、ズドンズドンバリバリバリが一晩中続いた。うるさい。
2月18日
蔚県7:00―西合営8:00―金河口9:30―幕営地17:30
出発は明るくなってからにしたいのになかなか夜が明けない。ズドンズドンバリバリバリは四方八方で相変わらず続いている。まるで戦争でもやっているみたい。
春節の一日目、朝飯屋なんかやっているわけもなく、何も食べずにバスターミナルに向かうが扉に張り紙、見ると春節一日はバス全線運休。ため息をついて大通りに立っていると、西合営までなら五元で乗せてやるぞと車がやってきた。本当は柏樹まで行きたかったが、贅沢は言えない。まずは少しでも山に近い西合営まで行くことにした。
西合営から先はどうしても車に乗れそうもない。金河口まで十七キロと看板がでていた。本当は松枝口から入山したかったがしかたない、金河口まで歩いてそこから山に入ることにする。
町外れまで来ると突然消防車登場、それが目の前で止まり、「お前、小五台山行くんだろ、乗れよ」と言ってくれる。本当に、いいの、いいの、やった、ありがとう、とか言いながら乗せてもらった。「そうか、日本からか、一人か、気をつけてくれよ」と金河口まで送ってくれた。お礼にいくらか渡そうとしたのだけれど、かたくなに断られてしまった。いい人だ。
金河口の招待所で三十元の入山料を払って出発。以前来た時はちょろちょろと水の流れていた川原が、凍りついて立派なスケートリンクに変身していた。雪がないのに沢の水はがっちんがっちんに凍りついている。日本にはない光景だ。
無風快晴のいい天気。ぽかぽか暖か。絶対寒いに違いないと気合を入れていたのに、日本の山より全然暖かい。ちょっと拍子抜け。
谷沿いの道をひたすら進む。歩き易い。右岸に二本氷瀑を確認。登山口から三十分ほどなのに登った形跡がない。北京の山道具屋に何本かバイルが売っていたけれど、実際登る人はほとんどいないのだろう。
谷から尾根に移ると道もわかりにくくなってきた。途中まであった足跡もなくなってしまった。上部は太もも程度のラッセル。日のあたっているところはまるで雪がないのに、たまに雪があるところに一歩踏み込むと膝まですっぽり沈んでしまう。なぜだろう。
孤独なラッセルをひたすら続けて樹林帯を突破。稜線まで行きたかったが、もういい時間、幕営するのにちょうどいい場所があったのでそこまでとした。
テントを張って飯の準備、心配していた雪もあるから水の心配も無し。さあ、ガスを取り出してコンロをつけてと思ったところで、あれ、あれ、あれ、ない、ない、ライターが、ライターが、ライターがない。この時ばかりはしまったあと一人で叫んでしまった。飯炊けないじゃん、水作れないじゃん、これからどうすればいいのさ。幸いパンを沢山持っていたのと、もし雪がなかったら大変と西合営で水を少し大めに買っていたので、あと一日くらいはなんとかなりそう。でも二日は無理、明日は確実に下山しなければとなってしまった。
2月19日
幕営地7:15―稜線7:45―分岐12:00―西台16:20―道路19:00―金河口20:15
明るくなってから出発。今日もいい天気。がちがちに凍った草つきにアイゼン蹴りこみ、ピッケルを振り回して登っていく。そういえば上海を出てからろくに食べていない。だって北京でも蔚県でも飯屋みんな閉まってるんだもの。急な登りにすっかり疲れてしまった。
ようやく稜線に到着。最高峰の東台がすぐ左にあるけれど、朝から疲れたし、水も食料も少ないのでそのまま進む。
稜線に出ればあとは気持ちのいい稜線散歩、と思っていたが甘かった。雪がなければがちがちの草付き、雪があれば太ももまでのラッセル。ちゃんと食べていないから力が出ない。のどが渇いても水がない。適当な尾根から下りてしまおうかと何度思ったことか。精神主義の果かなさを感じた。
耳を澄ますと、非常に小さいがどこからかちょろちょろ水の流れる音がする。どこだと探すとぽたぽた水の垂れている所があるではないか。奇跡の泉と命名し、水を汲む。するとどうだ、見事な泥水、騙された。よく見ると雪解け水が草付きの上を落ちてきているだけ。きれいなわけがない。
分岐に到着。ながめよし、北台の斜面に氷が続いているルンゼが何本か見える。ここから中台までもすぐだけど、疲れたし時間もないのであきらめ、直接西台を目指す。この先は雪もほとんどなく、こんどこそ気持ちのいい稜線散歩。楽勝。
西台到着、このあたり小屋があったりヤギの糞が落ちていたりして人間臭い。山頂には四角いケルンが積んであった。ここから南西にのびる尾根に戦国時代の長城があるという。本当はそれを見たかったのだけれど、今回はこれも無しになってしまった。
金河口へ下山する。道は明瞭、トレースはないが非常に歩き易い。動物の足跡が沢山ある。中には日本では見かけないような足跡もちらほら、それも重量級だったりして。いったい何者だろう。
何とか今日中に下山できそう、歩いていると、目の前を雉があわてて飛んでいく。青っぽくて日本のより上品な感じ。それが出てきたあたりから声がするので、まだ何かいるのかなと思って見てみると、なにやら獣の一団がうろついている。どうも鳥を襲っているらしい。基本は黒だか紺だかで、背中か尾っぽが白、尾っぽは長くて体はそれほど大きくない。鳴き声も小さくてバウバウ言っている。何だろう、弱そうだけど、向こうは多数、少なくとも五、六匹はいる模様。こちらは自慢のピッケルとこんなときの為に鍛えようかと思っているテコンドーキックがある。でもやっぱり近寄らないほうがいいだろう。後ろで待っていたらバウバウ言いながらどこかに行ってしまった。いったいなんだったのか、野犬にしては色が統一されていた。狐じゃないだろうし、これは狼だ、狼に違いない、勝手に断定して再び歩き出した。
途中道を間違えて直接金河口に下りられなくなってしまった。ソ連製の10万地図は思ったより使えたけれど、地形のみで登山道が書いていない。古い地図だから当然か。山を下りてもなかなか道路に出られない。真っ暗な中、石のごろごろしたところをコンパスを見ながら進む。
ようやく道路に到着、通過した村で親切な村人をやり過ごし、やっと金河口に到着。
金河口でさっきの獣について聞いてみた。すると、「おめえ、そりゃ狼じゃねえ、バオヅだ、まちがいねえ、こちらから手を出さなければ何もしてこないが、襲われたら酷いぞ、奴ら人食いだ」と言ってくる。バオヅって何さ、体大きくなかったぞ、鳴き声も小さくて弱そうだった、と言っても、「いやあ、虎ほどではないが、奴らの戦闘能力は狼より上だ」と言う。むう、そんなに恐ろしい奴らだったのか、いったい何者だろうか。帰ったら辞書を引いて調べてみようと言って就寝。
山はたいした事ないけれど、食べていない分しんどかった。縦走はもういい。ごみも目立つし、上海からわざわざ行く必要はない。この山はアイスクライミングが一番面白いと思う。稜線から眺めただけでも数本氷のルンゼが見えた。探せば結構あるかもしれない。沢登りもできるだろうけれど、入渓点付近の親切な村人と、農家の犬をどうやり過ごすかのほうが核心になりそう。
20日に金河口から蔚県、そこから張家口に行き暫らく観光。このころになるとこのあたりの交通もさすがに通常に近い状態になっていたよう。23日に北京から上海に戻る。家に帰って早速辞書を引いてみた。辞書には『ヒョウ』とありました。
張家口のクライマー
登るなと書いてあるのに登っているガミラス人2人。中国のクライマーはどうもガミラス系が多いらしい。ついでに扉の中はただの靴屋でした。
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